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センザンコウに会いたい 仏教聖地でかかる曲【専業主婦飯30〜28年ぶりのネパール14日目下】

Namobudhha

少し離れた森林との境のところにこの看板があった。
ちょっと待ってくれ、これは 

センザンコウ

ではないか?
不思議な動物だ。動物園で見たことはあるが、実際触れたことはもちろんない。

形状が似ていなくもないアルマジロは10年程前伊豆シャボテン動物公園で抱っこした。アマゾンで食用になっていたりするし、ペットにすることもあるようだ。ツルツルツヤ感のある薄茶の甲羅状の背中と、氣志團のようなリーゼント、フタユビナマケモノのような鼻先で腹部に粗く毛を生やしながらちょっとだけ手にフンを落とした。あまり哺乳類っぽくない見た目なのにフンが確かに雑食哺乳類っぽくて何だか愛おしかった。

12年ほど前息子が抱くアルマジロ

センザンコウの方は耳が目立たずより長く尖った顔と尻尾を持つので、更に哺乳類感は薄れる。アリクイみたいな顔だと思ったら、本当にアリ、シロアリをエサとするらしい。
同じように鎧のようなもので被われた体を丸めて身を守るセンザンコウは大変に興味深く自分の中の不思議動物偏差値の中で同じような高値だったが、センザンコウという和名がいかにも漢字変換出来そうなことから気づくべきであった。珍しいもの、珍奇なものはことごとく漢方薬として使われてきたということに。

調べると世界で一番密猟され、主に鱗が薬とされるために取り引きされるというのに、胸が痛む。
農民の友人で、平和を愛する生き物。私も友人になりたくて、午前中見たフンコロガシのようにヒョイと会ってしまわないかという期待を込めてそこらの森林をうろついてみる。
こういう時は娘が一緒だと良かったと思う。動物好きな娘は何かを「持っている」のだ。彼女がいると動かない鳥で有名な“ハシビロコウ”は活発に動き回り、家の近くでは“ハクビシン”も“タヌキ”も“アライグマ”も頻繁に目撃し(私の方がそこら辺を歩く回数が多いのに関わらず見た回数は少ない)、沖縄で稀少なケナガネズミ(の死骸だったが)を見つけ、すごく立派なクワガタが頭上に降ってくる。稀少ではないがしょっちゅういるわけでもないものの発見率がどう考えても多いのだ。
しかし娘から「ふし穴」扱いされる私の目で夜行性のセンザンコウが簡単に見つかる訳もない。でも道路が近いこのあたりで下手に見つけてしまうということは、事故にでも合いかねないので、見つからずに済んで良かったかもしれない。

調べると、この鱗状のものは爪や髪と同じ“ケラチン”でできているようだ。
21番 10日目(上)で仮説を立てた“ヤマアラシのトゲ“もケラチンが変化した体表を被うものだ。もしせめて鱗が定期的に剥がれて再生するなら、それを拾って薬にするで我慢してもらえないか?
うーん、でもこの鱗が地面に落ちていても、樹皮とまるで区別がつかないか。

「どこから来たんですか?」とゴンパで声をかけられた。
カトマンドゥから来た大学生の女の子だった。50代位の連れの女性と一緒におり、誘われて一緒に参拝ルートを回る。
24歳のその子は娘と同い年だが、連れの女性は「祖母みたいな人」だそうだ。いくらネパールでは結婚出産年齢が早いと言っても、本当の祖母の歳には見えないが、こちらでは大家族で親戚縁戚も直系同然に近しいので、そういう感じかな。
私が日本人とは思わなかったようだが、どこの人だろうと興味があって声をかけたらしい。
アーリア系の顔立ちだがが、ヒンドゥー教ではなく仏教徒で、祖母(みたいな)と一緒に日帰りでお参りに来たようだ。バターランプを供え、物乞いをする人には20ルピーを与え、日本の事やこちらのこと質問し合う。
大学で日本語も少し勉強していると、簡単な言葉を話してくれるが、花が咲いたようにきれいで知的で純粋な感じの子だ。カトマンドゥを離れて10日足らずだが、彼女がやけに都会的に感じる。
ふと息子の事を思い出し「絶対タイプだろうな」と母は確信する。小さな時からとびきり美女のインド映画女優ばかり褒めていたからか、和製アイドルとかよりこっち系が好みっぽいし、彼女はどストライクに違いない。だからってどうもできないが。

さて一緒に回った参拝ルートの店ではいつも「オムマニペメフム」の歌が流れている。
この曲を初めて聞いたのは、2010年頃のマレーシア、ペナンの極楽寺だった。何だかクセになる極楽浄土感に、その場で売られていたCDを買ったのだ。
そしてこの何年か連れ合いは夜寝つくために「せせらぎの音」と共にこの曲をかけている事が多い。そのせいか聞いていると意識を失うようだ。

2016年インドのダラムサラでも、ガンガンかかっていた。台湾の寺院でも聞いたし、カトマンドゥ郊外の仏塔、スワヤンブナートでもボウダナートでもだ。つまり各国寺院で最も聞く曲にも関わらず、日本のお寺で聞いた事がないのはなぜだろう。
と思っていたら、先日20世紀に旅行していた時の友達に会った時、教えてもらい参拝した大久保の仏教寺院でこれが流れていた。日本人の作ったお寺ではないところでは聞けるのが不思議。

五体投地用の台が設えてあることに感動しもちろん日本でも五体投地

夕食は「Non Veg.で大丈夫?」と聞かれていたが待望のチキンのダルバートをいただく。ネパールではインドより肉食も一般的にとはいえ、仏教徒のおうちでの方が気分がちょっと楽に思う。久しぶりのチキンはやっぱり大変においしかった。
多分いつもいつもチキンを食べているわけではなく、ちょっとご馳走なのだろう。おもてなしをしてくれた後、ゲストハウスのオーナー夫婦もチキンをおいしそうに食べる。

カトゥリ(小椀)手前がチキン 奥がダル
自家製緑の菜っ葉はチキンと非常にマッチ


そして話をする。
この夫婦は本当に善い人達だ。やさしさと魂のきれいさが否応なしに伝わってくる。
特に崇高とか高尚とかな話ではなくとも、畑や家畜の世話をし、部屋をきれいに整え、仏に祈り、人に親切にして、真っ当にまっすぐに生きてきた美しさが宿る。
オーナーは62歳。アジアでは満年齢ではなく数え年の場合も多いから、同じ60歳位の人と話したい、というバクタプルで一度断たれた夢が叶ったと言える。教えてもらったネパールの仏教僧院にも行ってみたいし、デリーやマレーシアで出稼ぎをしていた話も感慨深かった。
ありがとう。出会えて話ができた事がたいそううれしかった。

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