手焼きフィルム写真展「流れない河」@中川運河ギャラリー
坂田健一さん個展「流れない河」
中川運河ギャラリーに訪れた7月某日、写真家の坂田健一さんの個展が開催中だった。
ギャラリーの2階に上がると、一見抽象的な写真が壁に飾られていた。
一目見て、幻想的な淡いのある色合いがとても好きだと感じ、じっくりとひとつひとつの作品に目を向ける。
ゆらぎを感じるその写真をよく見ると、重なった輪郭の向こう側に見慣れた景色が浮かび上がってくる。
川沿いに建つ倉庫、橋のたもと、信号機の廃棄場。
どこかで見たことがあるような……頭の片隅にある記憶がくすぐられる。
坂田さんにお話を聞くと、写真は中川運河周辺で撮影したものだという。
坂田さんはご自身でフィルム写真を暗室手焼きしているそうで、カラーの手焼き写真をやる人はあまりいないのだそう。
2階に展示してある中川運河の写真は一見、ふつうの風景写真には見えない。光と色がゆらいで、不確かな世界の中に引き込まれるのが心地よい。
風景写真がどうしてこのようにプリントできるのかお聞きすると、思いもかけない答えが返ってきた。
「この写真は暗室で焼き付けるときに中川運河の水を使っているんですよ」
自分の手で写真を焼いたことがないわたしは、おぼろげなイメージから暗室を思い浮かべる。
写真をプリントするのに水は必要だったっけ……?
一般的には写真を露光するときに印画紙を水に浸すことはしない。
しかし、敢えて中川運河で汲んだ水に浸すのだという。
運河の水を通すことで、ゆらぎの中で生まれる写真。
そこには実際には見ることのできない新しい景色が偶然現れる。
そのとき、どのような作品が生まれでてくるかは厳密に計算することは難しいのだという。
フィルムは撮れる枚数が限られている。
不便なようだけれど、どこを切り取るか、修正の効かない一回限りのタイミングを見極めなければならない。
「撮る」という行為には撮る人の視線が必ず含まれる。
撮影者の意図した視線と、偶然性の織りなす写真。
その作品を「見る」ことを通して、見る人は新しいイマジネーションを得ることもできるだろう。
写真を焼くこともまた、露光の仕方で表れてくるものが変わる。
坂田さんの試みのように、運河の水に浸したり、運河のまわりにある植物を浮かべて焼き付けたりすることで、写真はただ焼かれたものではなく、街や風景と一体となるのではないだろうか。
目で見る風景と撮ること、暗室手焼きすることの営為が結びつき、そして新しい風景と出会える。
静的だと思っていた写真も、プロセスを通じて自分と風景が地続きになる可能性がある、そんな見方もできる気がする。
ギャラリー案内
坂田健一フィルム手焼き写真展「流れない河」
2023年7月30日(月)まで(火・金・土・日 11:00〜18:00)
中川運河ギャラリー
https://www.instagram.com/nakagawaunga.gallery/
文・写真:イトウユキコ
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