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義祖父の死から考えたこと

義理の祖父が亡くなった。夫を可愛がってくれていた、夫の祖父だ。
最期は突然おとずれた。ある朝、夫に「おじいが亡くなった。血縁者だけ顔を見られるらしいから、今から病院まで行ってくる」と声をかけられ、驚きのあまり叫びながら飛び起きた。
義祖父は数か月前に突然歩けなくなり、老人ホームに入っていた。
でも「旅行にいきたい」「また歩きたい」というエネルギーを失っておらず、年始には一緒に車いすで外食したし、亡くなる前日はWBCを楽しんで見ていたという。
6月には86歳を迎えるはずだった。

私が15歳の時、実の祖父を亡くした。住まいが遠くて頻繁に会う関係ではなく、敬語を使うか使わないか悩む、それくらいの心の距離感だった。
病気のことを知らされていなかった私は、亡くなる前日に初めて病院にお見舞いに連れていかれ、意識のない祖父に驚いた。翌日も病室を訪ねて祖父の手を握っていた。
そうしていると、医師と看護師がやってきて、祖父の状態を診て、死を宣告した。
私はとても不思議だった。
「死」を宣告される前からずっと、祖父と手を握っているのに。まだ手もあたたかいのに。
「死」の前と今とで、祖父の何が変わったのだろう?「死」って何だろう?

あの頃よりも、今回の方が「死」を現実のものとして感じた。
義祖父とも数回会っただけだったが、何げない感情や意見を交換する中で、知らず知らずのうちに相手の人生に思いを馳せていたのだと思う。
15歳の私にとって祖父は、小さい子にとっての「センセイ」「オカアサン」と同様に「オジイチャン」という存在だったが、
今の私は義祖父を「85年の歴史を持つ、自分と同じく子供時代や若者時代を経験してきた存在」として見ていたからだろう。

義祖父の死から考えたこと

義祖父を火葬する際に、義祖父がとった賞状も一緒に棺に入れることにしたらしい。義祖父は色々なことにトライする人だったようで、おうちの壁に飾られていた様々な賞状を覚えている。それが燃やされる。この世から無くなる。
これを聞いて最初に思ったのは
「賞状やタイトルは、持っていけないんだな」
ということだ。当たり前のことだけど実感した。

私は結果を出すことが好きだ。勉強を頑張ること、仕事に打ち込むこと、その結果認められることが好きだ。今までどこに行っても結果を出してきた。それは努力することが結果を出すことが楽しいからだ。
転職活動中のいま、「この業界に行けば市場価値があがるかも」「ここならステイタスが高い」という思考にとらわれることもある。
だけれど、現世のあれこれは現世でおしまい。お金も業績も持っていけないのだ。
それならば、見栄や外聞に左右されず、本当に好きなこと・情熱を燃やせることに少しでも長く時間を使う方が良い人生になるな、と私は思った。

また義祖父の思い出話をする中で感じたのだが、ステイタスなど微塵も話に出てこない。
「いつも私達を応援してくださっていたなぁ」
「おじいは笑顔で明るい人やったな」
「あなたのことを本当に可愛がってくださっていたね」
と懐かしんでいる。そこに、例えば
「良い会社に勤めていたね」
「沢山稼いでいたね」
なんて言葉は出てこない。
そもそも義祖父と一緒に火葬する予定の「賞状」というのも、義祖父が困っていた外国人の方々を助けてあげた時にもらった感謝状だそうだ。そういう心のあたたかさの象徴を、死後の世界の道連れにしてほしいと願って一緒に火葬するのだろう。
もし私達が幸運にも子供を授かることができたら、その子にもきっと語り継ぐ。あなたのひいおじいさんは、とても明るくて世話焼きで、いつも笑顔だったのよ。人と関わることが大好きな人だったのよ。
誰かに思いを馳せるとき、その人の人柄やかけてくれた言葉、愛のある行動の方が、業績や年収なんかよりもずっと強く思い出される。
であれば、自分は死後、どのように語り継いでもらえると嬉しいのか。
その答えこそが、これから私達がどう生きていくかを方向づける気がする。

寂しいけれど、私達は誰しもいつか人生の旅に終わりを告げる。
その時、何も持っていけない。
そして残された人々の心に残せるのは、優しさや愛情だけだ。

それならば、何を残したいか。
何に人生の時間を使いたいか。情熱を注げそうか。
誰と心を通わせたいか。

私も考え続けるので、あなたにも考え続けてほしい。

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