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日本語学校の非常勤講師になりたてで週16コマこなしていた話

こんにちは。日本語教師のゆかです。

今日は非常勤講師になりたてのころに話をしようと思います。

当時私はまだ養成講座を修了しておらず、実習段階でした。
日本語学校には1月入社で、養成講座は2月修了、塾講師のアルバイトという、忙しい時期でした。
日本語学校非常勤の同期は9人おり、皆年齢も経歴もさまざまな人たちでした。

その中に、養成講座も同じ実習クラスも同じ同期、Aさんがいて、そのAさんと年齢も近かったこともありとても嬉しかったのを覚えています。

いざ、日本語教師として授業がスタートし、なおかつ社会人としても1年生だった私は右も左もわからず、ただがむしゃらに前に突き進む日々を送っていました。

教案作成に追われ、授業に追われ、実習に追われ・・・。

授業は週2で希望をだしていましたが、
「先生が足りないから週3でお願いできませんか。」
というお願いをされ、経験がないながらも、いきなり週3の午後授業でスタートしました。

初めての授業から1か月くらい経ったある日、教務室がざわざわしていました。

「A先生と連絡が取れない」
「A先生が無断欠勤して○日」

私の同期Aさんが蒸発してしまったのです。

教務主任に、
「ゆか先生、A先生のクラスに入っていただけますか。」
と言われ、当時の私が受け持っていたレベルと授業内容が同じだったことから、午前午後通しでA先生の穴を埋めることになりました。

右も左もしらない私は居酒屋の「はい!よろこんで~!」ばりの返事で教務主任のお願いに答え、入社2か月で週16コマの授業をするようになりました。

当時の私は22歳だったこともあり、体力もあってしんどいな、と思うことはありませんでした。

結果、入社してすぐに多くのコマをこなしたことで、早く経験値が増え、初級の教案は1年ほどで作り終えました。

また、いろいろな非常勤の先生の代講でたくさんの経験を積むことができました。

だた、毎日毎日教案作成に追われていた日々は大変でした。
教案を教務主任に送り、チェックされ、返され、修正し、、、

この繰り返しでしたが、30歳になった今、当時と同じことができるか、と聞かれたら、体力的に「できない」と答えると思います。

でもあの経験があったから、今こうしてフリーとして自信を持って授業ができているんだなあ、と思います!

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