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どこにでもいる自分

中学でいじめを2回とプチいじめやいじりを受けた。そこから私の中に自己肯定感なんてないよね。いじめ発覚の際に家族から何かフォローがあったわけでもない。
いじめられる、その対象になるということは私は何かあるんだと、高校に入っても自分が人とちょっとズレてるのは流石にわかる。でもお喋りだから話せちゃうし容量いいから何となく高校生活を過ごせちゃって。そうしているうちに八方美人の出来上がり。
高校生の時は「大学に受かる」という目標のためだけに生きていればよくて。
18歳のときには未来なんて見えなくて。
夢はあったけど、叶えたくないというか、ずっと、夢に向かって努力してる際中でいたかった。
叶ってしまったら辛いことがわかっていたから。

でも、時間は止まってくれないから、やがて努力をして夢は叶った。叶ってしまった。良くない形で。

どの場所にいても、とにかく逃げたくて仕方がなかった。現状のその立ち位置と居場所が嫌で逃げたかった。今もそうだ。

私は何になれば満足するのだろうか。
どこにいても、何をしてても嫌なことがあると逃げたい。嫌なことがない場所など何処にもないのに。

まだ30年も生きていないけれど、高校生だった3年間が一番幸せだった。守られて、ただ与えられた課題をこなす。そこそこの勉強をすれば満足する点数が取れ、先生達に一目置かれる。傷つける人もいない。夢に向かって勉強しているだけでいい。
この時に私は、「考える」ことを放棄した。考えなくていい日々は本当に楽で楽しかった。

だから、その先の人生を生きることが苦痛を伴うこともわかっていた。
わかっているから、生きていたくなかった。
それでも未来は必ず現実になる。

中学生の時に植え付けられた希死念慮は今でも消えない。

私の母の話をしよう。
家族は、普通にしていたら仲の良い家族だろう。祖父母と両親、弟2人の7人家族。
でも、私の記憶に浮かぶ母は常に怒っている。
家族に不機嫌を撒き散らし、すぐキレる。
子供が自分の教えたことができないと怒鳴る。
そして、家事手伝いを一つもさせないように振る舞う。
口から出る言葉は反対のこと。まるで授業放棄をする先生と同じだ。
「もう食事作らないから。」「もう家事しないから。」「もう私は出て行くから。」
学校に行くなと言われ、本気に取って部屋に戻った弟に学校に行けと再び怒鳴る。

それなのに、最近になって私は家族の奴隷だ、なんて言い出した。自分の子供や旦那を奴隷のように何もするなと怒鳴り散らした人がよく言うなと感心した。

母は祖母とも相性が悪い。所謂、嫁姑関係というやつだ。
また、母の自虐に耐えられない父親が声を荒げて夫婦喧嘩をした回数はどれだけだろうか。酷いときは2日に1回していた気がする。

母は思い通りにならないと気が済まない。私が楽しい思いをして帰宅すると不機嫌な母が待っている。大学生以降、それが嫌で嫌で実家をいつ出るか弟と考えたものだった。

いつからだろう。夫婦喧嘩の怒鳴り声や壁が壊れる音、扉を強く閉める音が私の恐怖を掻き立てるようになった。非常に怖い。関係ない私が泣いていることもあった。

感受性が良い、と言えば聞こえはいいが、実際にはただの弱虫で泣き虫だ。

小さい頃から母がお膳立てして良い子で育った私は、失敗は恥ずかしいもので、しないように対策し用心するもので、完璧が当たり前だった。母は潔癖症の完璧主義だった。
良い子だけどちょっとズレてる子。いじめの対象にしやすい子。

今でも失敗は怖くて、ミスをするとその場でリカバリーはできても後で非常に落ち込む。自分はダメだと自虐する。母のように。
染み込まれた思考は簡単に消えてくれない。

刻まれた希死念慮は消えない。心療内科の薬を飲んで明るく振る舞っても、八方美人で愛想良くできても、根は変わらない。こんな私はいつか変わることができるのだろうか。

(2020.10頃 執筆)