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【読書感想文】般若心経90の智恵②

著:公方俊良

本物の慈悲を見た

 この本の中で、「母親が子どもに向ける愛情は正に慈悲心」とありました。子どもに危険があれば身を挺して助け、食べ物が無ければ自分の分も捧げる。確かに慈悲の心だと思います。

 しかし、それは我が子だけに働く心。お釈迦さまが仰る「この世の全ては全て“空”である」に基づくのであれば、我が子も他人も関係なく、全ての人間へ自分の慈悲心が働くようで無ければなりません。
 「そんなこと、この現代で出来る人いるのか?居ないだろうな」思っていました。


 先日、テレビでアフガニスタン難民についての特集が放映されており、日本のテレビクルーが現地に赴き、インタビューをされていました。
 千人以上が配給を求めて並ぶ姿、幼い子どもがガリガリに痩せている様子、銃弾を浴びた門。
 その中のひとつに、洞窟に居を構える家族をとり上げていました。大人が数人と子どもが1人。彼らは貧困によって住居を追われ、洞窟で身を寄せ合い、テレビクルーの取材に対し、不安を打ち明けておりました。もう彼らには僅かな食べ物しか残されていないようです。

 私が最も衝撃を受けたのはこの後でした。全取材が終了し、テレビクルーが中継インタビューに応じた時、こんな内容を話されていました。
「あの状況下でも彼らは私たちをもてなしてくれました。ほんの小さな鍋で蒸された僅かなじゃがいも。これは彼らの2日分の食糧なのですが、それでも『食べなさい』と分け与えて下さいました」

 貧困によって大変な時、節制に節制を重ねて残してきた食糧を会って間もない他人へと分け与える。私はこの現代で本物の慈悲心を見たんだと思いました。

 アフガニスタン難民の方々は過酷な環境下の中でさえ、助け合ったり、人を敬う心を持ち、その日の僅かな食糧に感謝しながら生きている。心の豊かさは私達の何億倍も上だと感じました。
 心は、いくら立派になろうとも、いくらお金を積もうとも、手に入りません。同時に、死ぬまで盗まれる事もありません。この心を手に入れた時が、お釈迦さまの仰る「本当の幸せ」なのだと考えさせられました。

天国地獄は死んでから行く場所ではない!?

 六道輪廻はご存知でしょうか?天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の六つの世界をその人間の行いによってぐるぐると回るということ。

 私は幼い頃、「悪いことをしたら死んでから地獄にいくよ」と教えられてきました。なので死んでから来世どこに生まれ変わるかという話だと思っていましたが、本当はそうではなく、私たちが生きている今世の中での話だそうです。


 この六道輪廻は「心の動きのこと」だそうで、
例えば何かを手に入れた時など、私たちは「天にも昇るような気持ち」になりますね。実際、その状態は既に「天国にいる」という事らしいのです。

 例えば、借金で首が回らなくなった「借金地獄」、受験に忙しく、自分を追い詰め顧みる暇もない「受験地獄」、仕事漬けでろくに眠れもしない「労働地獄」など、金や名誉など何かを追い求めて自分が苦しむ状態や、誰かを貶めている時は既に「地獄に堕ちている」という事です。

 私達の心は常に「六道輪廻」をぐるぐるしていたのです。私はてっきり死んでから行くところだとばかり思っていましたので、この話を読んで驚きました。
 つまり、お釈迦さまが仰るには、心のコントロールをすることによって、常に天国にいることも可能!ということです。逆を言えば、もっともっと自分を追い詰めて常に地獄にいる事も可能ということ。

至高の宝物

 どれだけ裕福でも、見栄や欲によって本当に簡単に地獄へと堕ちる危険があります。お金も物も、実体があるため盗みやすく、必ず朽ちる物です。それを求めて何になるのか。

 先のアフガニスタン難民の話に戻りますが、彼らは貧困によって身体的にも精神的にも苦痛を感じていますが、心は今生きていることに常に感謝をし、足るを知り、助け合い、相手を思いやる慈悲の心を持っていました。彼らの生き様こそが、人生はどんな状況下であっても、考え方によっては常に天国にいる事ができる証明ではないでしょうか。彼らの心は誰にも奪われることはありません。お金では絶対に買えない、正に至高の宝物です。

悪いことしたもの勝ち?

 天国地獄が死んだ後に行く場所ではないということでしたが、「つまり、盗みを働いても、人を殺しても考え方によっては常に天国にいられるってこと?地獄に落ちないんじゃない?」と思いましたが、そうではありませんでした。
 死後に天国地獄があるかは断言できませんが、“因果応報”はこの世に確実に存在しているそうです。
 因果とは、種まきをして作物が実ることを想像してもらうと分かり易いのですが、良い種を撒けば良い実が実り、悪い種を撒けば悪い種が実るということ。
 つまり、良いことをすると後になって必ず良いことがある、逆も然りという事です。

 行いを反省せずに心持ちがいくら天国であろうとも、因果からは逃れられないということでした。


タイムリミットはある

 この世界に生きるものには必ず寿命があります。私は既に若者とは言えない年齢になりましたが、この歳になるまで、瞬きをする程あっという間だったと思います。
 だからこそこの僅かな時間を、わざわざ人を嫉み、妬み、恨んだり、金や物に執着し、わざわざ地獄へ堕ちて時間を費やすよりも、人を敬い、許し、足るを知り、慈しんで、なるべく天国の中で過ごしたいと思いました。

 これがなかなか難しい…。そう簡単に出来るものではないのですが、身の回りに起こった出来事を、少しずつ消化することから始めようかと思いました。

 例えば、この間メルカリで横取りにあったのですが、メルカリの規約からすると早いもの勝ちがセオリーなので、悔しい思いを抱えながら泣き寝入りして今も引きずっているのですが、物に執着せずに自分の中のちっぽけな慈悲の心を最大限活用して納得するところから始めたいと思います。
できるかな!?


この本内容が濃厚すぎて全然書ききれないので、気が向いたらまた続き書きます。
おやすみなさい。

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