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コロナ自粛で見えてきた夫婦関係の闇

新型コロナウィルスによる自粛が続いている。
新型肺炎自体も怖いが、それによる二次災害ともいえる被害が、世界中の人を苦しめている。
大きな規模で見れば、世界的な経済崩壊が起こるのではないかという不安がある。
小さな規模で見れば、家庭の問題が深刻化している。

外出自粛で自宅にいることを余儀なくされ、テレワークや自宅勤務となり、日本の狭い家屋の中で、夫婦が顔を突き合わせる機会が俄然多くなったせいだ。
それまで、意識をお互いからそらすことで、何とかやってきた仮面夫婦たちが、今は逃げ場を失いつつある。
見たくなくても、常に夫(妻)が視界に入ってくる。
そこに出てくる感情が、愛や喜びではなく、イラ立ちや息苦しさであれば、家庭は即刻、地獄化する。

夫婦が常に仲良く暮らすことは、簡単ではない。
私は夫婦修復カウンセラーなる仕事をしているが、男と女の分かり合えなさには、毎回舌を巻くしかない。
幸せを夢見て結婚した夫婦が、数年後にはお互いに深く失望し、人生の監獄に囚われているように感じるのだ。
この変化は、少数の例外を除いては、ほとんどの夫婦が体験することである。

今、コロナ自粛によって我々は、直視するのを避けてきた夫婦の現実に向き合わされている。
巷では、コロナ離婚やコロナDV(家庭内暴力)の急増が目立ち、メディアにも注目されつつある。
今まで綱渡りのように、危うくその形骸だけを留めてきた夫婦が、問題の核心を突き付けられている時なのだ。

ところで、夫婦の問題ほど歴史の長い問題はない。
遡れば、ギリシャ・ローマ神話にも、その原型を見ることができる。
全能の神ゼウスは、神でありながらも浮気心満載で、数多くの女性神または人間の女と関係する。
その妻ヘラは、結婚・母性・貞節の女神だ。
しかし、度重なるゼウスの不倫に、ヘラは嫉妬の鬼と化して、不倫相手やその子供を排除しようとする。

かの有名なヘラクレスは、ゼウスと人間の女アルクメーネの間にできた不倫の子であるが、そのことを知ったヘラは、何度もヘラクレスを殺そうとする。
このように、たとえ神であっても、夫婦円満を実現するのは難しかったのである。

さて、話を現代の夫婦に戻そう。
夫婦には、お互いに対する期待感がある。
一生を共にすることを誓った契約が結婚であるが、そこには当然、責任と義務が伴う。

一人の男(女)にコミットするというのは、不特定多数の異性との関係を諦め、一人の男と一人の女の間で家庭生活を営み、子供を産み育てるということだ。
その結果、男は主に経済面を担当して妻子を養い、妻は子育てと家事を担当する、という伝統的な役割分担が形成された。

しかし、近年そのバランスも崩れつつあり、夫婦の新しい在り方が問われようとしている。
夫は仕事に身をやつすあまり、結果として妻や子供と心情的な関係を結ぶことができず、孤独の中に取り残されていく。
また妻は、家事や育児をほとんどワンオペでこなし、その肉体的・精神的重圧に、自分の心を潤す余裕さえ失っていく。
こうして夫も妻も、家庭という愛の泉であるべき場において、限りない孤独に陥っていくのである。

妻は夫に気持ちをわかってほしい。
日々感じていることをシェアして、それに対する夫の関心と共感が欲しいと感じる。
夫はそんな妻の心が枯れないよう、植物に水をやるように、日々小さな愛を注ぎ続ける努力が必要だ。

ところが、男にはそれができない。
命がけで仕事をし、家族を養うことに精神を使い果たしており、家庭ではただ、疲れ切った心と体を休めて慰労されたい思いでいっぱいである。
また、そうされて当然、と思い込んでいる節がある。

夫は、家庭では一切の神経のスイッチを切っている状態だから、妻が言ったことや、ちょっとした変化に気づくはずもない。
そのため妻の心は、夫の関心と共感を受けられずに、ひそかに枯れていく。

私のところには、このような悩みを抱えた多くの女性たちが相談に来る。
夫から、受けるべきものを受けられない彼女たちの心は、ひたすら傷ついている。
それでも家庭を放棄することができず、毎日を悶々と悩みの中で過ごしているのである。

夫は夫で、このコロナ騒ぎの中、言い知れぬ未来への不安に苛まれていることだろう。
アフター・コロナの世界は、今までとは全く違う産業構造となるかもしれない。
既存の職種が大量淘汰され、未来への存続が危ぶまれているのである。

実際に、すでに経営破綻や経済難に直面している人も少なくない。
明日は家族を路頭に迷わせるかもしれない、という不安が、夫の中では渦巻いているのである。

この深刻さを、妻は本当の意味では分からないかもしれない。
妻にとっては、それよりも「今・ここ」での夫からの優しさや気遣いが、幸せ感に大きなウェートを占めるからだ。

ところが、未来を憂いて戦々恐々としている夫にとっては、そんなことはある意味「取るに足らないこと」である。
「俺はお前たちを愛しているからここにいる。仕事をしている。それだけで十分じゃないか? それ以上何を望むのか?」ということになる。

妻は、こんな男心を頭ではわかっていても、心では納得できない。
「私を愛しているなら、なぜこんな小さな努力もできないの?」と夫を責めたくなるのだ。
結局その不満が、妻の行動の端端に現れるので、夫は攻撃されていると感じ、妻の不服そうな顔に居場所を失っていく。
こんな時、多くの男性が、風俗などに刹那の癒しを求めるのだ。

ところが、今この外出規制のもとでは、そのようなガス抜きの場も得られない。
妻にとっても然りである。
女性の気晴らしは、気の合う女友達とのランチや、目的もなく楽しむショッピングなどであるが、今はそれもできない。

今、夫婦は互いに向き合うことで、問題解決することを願われているのである。
これが吉と出るか、凶と出るかは、その家庭の努力次第であろう。
今まで乗り越えられなかった夫婦の課題を乗り越え、新境地に達する夫婦があるかと思えば、閉塞感の中で自滅していく夫婦もあるだろう。

最後の希望は、古臭いかもしれないが、「愛」ではないかと思っている。
我々の愛の次元が、一段階高まらなければならないのだ。
「自分に対する満足」という究極の課題を、相手に求めていた時代を卒業し、本当の意味で与える愛を学ぶ時である。

自分という人間を、わかってほしくて認めてほしかった、他者依存的な自分を卒業し、本当の意味で自分を受け容れること。
その時から、夫への要求はぐっと減っていく。
夫があるがままの姿で家でくつろぐ姿に、イライラしなくなる。
その意味で、コロナは我々に、自分自身と本当の意味で向き合うことを教えているのかもしれない。


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