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ちょっとのお節介

次男は年中で、市内の保育園に通っている。長男は今年から小学生。繊細でこだわりが強く、小学校生活がどうなるか見守りつつ、なるべく楽しく過ごせる様にと思って一学期を過ごしてきた。おかげさまで、子供曰く、保育園よりも楽しいらしく、自分の机と椅子があるので、安心感があると教えてくれた。それだけではないだろうけど、子供には子供の想いがあるものなのだと感じた。

さて、次男がお世話になっている保育園の同じクラスの女の子(借りにCちゃんとする)、そのCちゃんが、朝の登園時によく泣いていて、それが朝機嫌が悪くて、少しの嫌な感じとかではなくて、本当に嫌だという思いがその姿から伝わってきていた。

でも、親御さんは仕事に行かなければならないし、先生も一人の子供だけに長い時間かかれないこと、微力でも力になれないものかと思い、息子のお迎えの時にCちゃんに会った時に声をかけてみることにした。

いつも同じ遊びをしているCちゃんを見て「楽しそうだね、それ好きなんだね〜」と声をかけると、次第にCちゃんの方から「見てみて〜」と教えてくれる様になった。

そんな中、Cちゃんの方から、園庭が怖かったこと。だからいつも外遊びが嫌だったけど、今は好きな遊びが見つかったから平気になったこと、を教えてくれた。

帰宅後、Cちゃんとのやりとりを思い出していると、Cちゃんが以前、同じ場所で一人でいる姿があったことを思い出して、自分の中で合点がいった。

うちは、自営で送迎時間の縛りも他の方と比べたら余裕があるから、私も出来るのだろうなと思う。(だが、金銭的余裕はあまりないことは自慢ではないが付け加えておく)

フルタイムで働き、朝は遅刻しないように、帰りは迎えに間に合う様にと、余裕なく毎日を送っている人もたくさんいて、一人ずつに抱えてる想いも、考えも事情も違うと思う。

それでも、忙しい毎日でも、少し余裕のある時に、周りに困ってる人がいたら助け合えたら、優しい気持ちの循環が生まれる気がして。

Cちゃんでも息子でも誰でも、特別なことはないと思っていて、誰でも得意不得意があって当たり前で、でも、時間や金銭的余裕がなくて、選択肢もが少ない人もたくさんいて、現状で生活していく中で、そんな中でも、優しい気持ちの循環が生まれたら、もっとみんなが心地よく優しくなれるんじゃないかと思った。

私ごとだと、逆に息子の機嫌の悪い時なんかは、あまり寄り添えない事が多く、いつまで泣いとるんや!と言ってしまう。そこは私ももう少し優しい気持ちで接していきたい。逆によその子には優しくできたり、自分の時間があるからこそ、子供が愛おしく思えたり。その距離感だって、そもそも一律ではないのではないかと私は感じる。かといって、自分の子供が可愛くない訳ではなく、大切でかけがえのない存在である。つまり言いたいのは、一律でない色んな自分、多面的な自分を責めたり、罪悪感を感じる必要はないと思うこと。(そう言いつつ、私も罪悪感は感じやすい‥)

人との関わりは苦手だけれど、今回の出来事で関わり方も色々あることを感じた。

いつもべったりが素晴らしい訳でもないし、困った時に助け合えたり、気になった時に声をかける、温かい気持ちで見守る、人との関わりも個性と同じで色々でいいんじゃないか?と、ふとそんなことを思った今日だったので、書きたくなった。

これからも、少しお節介な人をしていきたいなと、ふと思ったので、ちょっとではへこたれないメンタルも要るかもしれない。

優しい世界に生きたいな。

読んでくださりありがとうございました。

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