見出し画像

いつもと違う朝に、マッシュルーム味噌汁を。 #KUKUMU

窓から射し込む朝日にも、つくづく秋を感じるようになった。
 
秋の光に満たされた私の部屋。夏の突き刺すような強い日差しではなく、透明感のある清々しい光。暑気はあまり感じない。
本やら置き物やらで狭苦しいけれど、澄んだ静かな光に包まれて、どこか整頓されて見える気がする。そのせいか、寒々しくも見える。
 
実際、ちょっと寒い。
毛布を首元まで引き上げ、かたわらで寝ている猫を抱き寄せる。猫は一瞬迷惑そうな顔をしたが、またムニャムニャと寝入ってしまった。再び、安らかな寝息が聞こえる。
腕に感じる猫の重みと体温。このまま二度寝したら、さぞかし気持ちが良いだろう。目覚まし時計に目をやる。朝の6時。今日は土曜日だし、あと3時間は眠っていても誰にも文句は言われまい。

いつもの私なら確実に寝ている。だけど……今朝は思い切って起きちゃおうか。せっかくの早起きをなかったことにするのはもったいない。
そんなふうに思うほど、今朝の目覚めはさわやかだった。


家族はきっとまだ寝ている。無人のリビングで本でも読んじゃおうかしら。うまい茶を淹れちゃおうかしら。
いや、もうちょっと手をかけてもいい。お味噌汁でも作って飲もうか。

早朝の静かなキッチンに響く、包丁の小気味良い音、お湯の沸き立つ音を想像する。そうして作ったお味噌汁を、お気に入りのお椀によそって。まだほの暗いリビングに立ち上る白い湯気。熱々のお味噌汁を、ずずずとひと口……素晴らしい。そうしよう。
 
せっかくお味噌汁を作るのであれば、白米も欲しいな。ついでにたまご焼きも焼いて、そうだ、丁寧な朝ごはんを作ろう。
質より量をとるわが家の普段の朝食は、けっこうワイルドでアナーキーだ。だけどたまには、その逆をいってもいいかもしれない。ついでに家族の分も用意して、豪華な朝餐で驚かせてやろう。
 
せっかくの早起き。せっかくのお味噌汁。せっかくの食卓。
 
「せっかく」が「せっかく」を呼び、私の朝食計画はどんどん豊かさを増していった。それだけでも十分胸の踊る話だけれど、せっかくならば、あともうちょっと心ときめく冒険がしたい。具材や調理法に少し凝ってみる、とか。
 
スマートフォンに手を伸ばし、クックパッドを開く。おすすめレシピを漁っていると、ある料理が目に留まった。
 
「マッシュルームの味噌汁」
 
なんて異端でアヴァンギャルドなメニューだろう。味の想像がつかない。今朝みたいな、特別な朝にぴったりじゃないか。家族もきっと驚くことでしょう。マッシュルームならたしか、冷蔵庫にあった。

布団から這い出し、冷たいフローリングに足を踏み出す。結局起こしてしまったらしい、寝ぼけ顔の猫が、仕方なさそうについてきた。

静かなリビングに響く、包丁の小気味良い音。
叶ったのはここまでだった。
 
マッシュルームのしっとりときめ細やかな肌に指を添え、悦に入りながら、薄切りをしていたその時。リビングのドアが開かれた。
 
「あれ、早いね。おはよう」
「えっ、おはようございます……。お母さんとお父さんこそ、なんでそんな早いの」
「なんか二人とも目が覚めちゃって。録画してたバスケの試合観ようかと思ってね」
 
こんな静謐な朝に、バスケの試合。
 
「あんたこそ何してんの」
「朝ごはん、丁寧に作ってみようかなって……」
 
母が私の手元を覗き込む。
 
「マッシュルーム?」
「うん。『マッシュルーム味噌汁』なるレシピが気になって。新しくない?」
「あぁ、それ知ってる! 私もちょうど作ってみようと思ってたの!」
「え、うそでしょ」
「この前テレビで紹介されてたのよ。あのね……」
 
母は嬉しそうに語り出した。マッシュルームは、きのこの中でも群を抜いて旨味成分を多く含んでおり、とてもおいしいだしが取れるとか。そのため、余計なものは入れず、マッシュルームと味噌のふたつの材料だけで仕上げるのがオススメだとか。私の知らない知識が次々と出てくる。
 
「だからね、水の段階から一緒にお鍋に入れて、弱火にかけるの。で、ふつふつ泡が出てきたら、火を止めてフタして、10分くらい放置。そうするとだしが取れるから」
「なるほど」
「だしが取れたら、一回強火で沸騰させて、そしたらお味噌だけで味つけね」
「……勉強になりました」
 
じゃ、頑張って。
私の肩を力強く叩き親指を立てると、母はキッチンを去っていった。間もなくテレビがつき、バスケの試合が始まる。会場のどよめき。体育館を駆けまわるシューズのキュッキュッと高い音。スポーツ狂の父母の歓声。なーんてにぎやかな朝なんでしょう。
 
母から詳細で頼もしい地図を手渡され、マッシュルームの味噌汁作りは、冒険でもなんでもなくなってしまった。なるほどなぁ、話題のレシピだったのか。だからクックパッド内でもオススメされていたんだな……。
 
静かな朝に、一人っきりの小さな冒険。そんな計画がことごとく破綻し、気持ちがいささかも萎えなかったとは言えない。だけどこうなったらもう、めちゃくちゃうまい味噌汁を作るしかない。
うっかり入れるところだっただしの素を棚に戻し、袖をまくり直した。


薄切りしたマッシュルームが、お鍋の中で漂っている。浮きはじめた泡に押され、揺られるその姿は、形も相まってくらげのようだ。青白くやわそうな姿が少し頼りない。あまりにマッシュルームオンリーの鍋内に不安が煽られ、思わずネギやら油揚げやらを入れたくなるが、ここはグッと我慢しよう。マッシュルームを信じて、火を止めフタをする。

10分ののち恐る恐るフタをとってみると、やや、中の様子がだいぶ変わっている。水分が抜けて、ひと回り縮んだマッシュルームたち。その分広くなった鍋の中を、先ほどよりも悠々と快適そうに泳いでいる。
そして何より、先ほどまで無色透明だった水が、うっすら黄金色になっている。鼻を近づけてみると、ふくよかなきのこの香りがした。
ひと煮立ちさせ、味噌を溶かし入れる。

BGMがバスケの試合であることを除けば、思い描いた通りの完璧な食卓がそこにはあった。
白くかがやく炊きたてごはん。お砂糖をたっぷり入れた濃い色のたまご焼き。どれも魅力的だけれど、まずはやっぱりマッシュルーム味噌汁だ。期待に胸を膨らませる私と母のお椀には、きのこも味噌汁も並々と。実はきのこがあまり得意でないという父のお椀には、とりあえず少なめに。
いただきます。
 
熱々の味噌汁にくちびるを寄せる。味噌の味に隠れ、控えめだけれど、たしかにきのこの香りがする。マッシュルームをひと口。特有のサクッとした歯切れの良さが気持ち良い。
母も目を輝かせる。
 
「これ、本当に味つけお味噌だけ? すごくコクがあるね」
「そうだよ。マッシュルーム、なかなかやるな」
 
私と母の弾む声につられて、父もお椀を手に取った。そしてひと口すすり、眉を下げる。
「うーん、ごめん。おれは得意じゃないかなぁ」
 
そうだと思う。このお味噌汁の魅力はなんていったって、芳醇で独特なきのこの風味だ。好きな人だけ楽しむ、そういう料理なのだ。
悪いなダディ。代わりと言っちゃなんだけど、たまご焼きをいっぱい食べてね。

食器を片付け、ふぅと息をつくと、途端まぶたが重たくなった。早起きの反動と、お腹の中が温かいもので満たされたせいで、何より、地図を持っていたといえど冒険の達成感で、ひどく眠い。
部屋に戻り、敷きっぱなしにしていた布団に横たわって毛布にくるまる。後を追って猫もやってきた。そういえば彼も私の早起きに付き合わされ、寝不足だったのだ。
 
涼しい空気に秋の陽光が嬉しい。朝目覚めた時よりは熱を含んでいるけれど、やはり澄んでいてやさしい秋のお日さま。
猫が寝息を立てている。猫の腹を撫でながら、私も目を閉じる。


文・イラスト:渡辺 凜々子
編集:栗田真希

参考レシピはこちらどす。

***

食べるマガジン『KUKUMU』の今月のテーマは、「きのこ」です。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくは上記のnoteをどうぞ。また、わたしたちのマガジンを将来 zine としてまとめたいと思っています。そのため、下記のnoteよりサポートしていただけるとうれしいです。

この記事が参加している募集

私の朝ごはん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?