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今はまだ、四分割のチーズトースト【KUKUMU】

わが家は実質、一日四食なのかもしれない。

お腹いっぱいに食べた夕飯が消化され、胃にちょっとした隙間ができる23時頃、誰が号令をかけるわけでもないのに、父、母、弟、私、そして猫がリビングに集う。家族全員で、夜食を食べるのだ。

食卓に上がるのはケーキだったり、特大のペヤングだったり、ハンバーガーだったり、焼肉だったり。日によってさまざまだが、軽食のラインを超えることもしばしば。自分のお皿を肉球でタシタシと叩き、「空きっ腹じゃ寝られやしない」と主張する猫にも、キャットフードをいくらかふるまう。

ひとつのテーブルを囲うけれど、かといってみんなで何か共通の話題に参加するでもなく、思い思いに好きなことをする。そんな時間が心地良くて、私は好きだ。

両親が見ているバラエティー番組の音、弟がスマートフォンで熱心に文字を打ち込む音、猫がキャットフードを噛み砕く音。そういった雑多な音に包まれての読書は、なぜかものすごく没頭できる。

そして23時につまむひと品は、ほかのどの時間に食べるよりもおいしい。

***

今夜は一体何を食べるのだろう。

母がオーブントースターを温めている。とすると、今日はパンなのか。なら緑茶より紅茶のほうがいいかな。その日の夜食に相応しい飲み物を用意するのは、私の役割だ。

電子ケトルいっぱいに水を入れ、スイッチを押す。沸騰するのを待ちながら戸棚からティーセットを取り出す。ガラスのティーカップを四つと、いちばん大きなティーポット。
カチャカチャと準備していると、母が横で六枚切りの食パン一枚に、マヨネーズとバターを塗り始める。

「今日はしょっぱいパン?」
「うん。高菜チーズトースト」

そりゃ最高だ。


マヨネーズを薄く塗られた食パンが、キッチンの照明を受け、てらてらと輝いている。飲み物を準備する手を少し止め、母の手元にじっと見入ってしまう。溶けるチーズがはらはらと乗せられ、ぱらぱらと高菜がトッピングされる。

じゅるり。

23時になると自動的に空いたような気になる胃袋が、今、明確に高菜チーズトーストを欲した。お腹が空いた。これは、食べないことには眠れまい。

トッピングで飾られた食パンをそっと運び、あらかじめ温めておいたトースターの扉を開ける。熱気と共に、食欲をそそる香ばしい匂いがした。おやつに食べた冷凍たい焼きの残り香だ。その奥にいつかの朝食の、やはりトーストの匂いもあるような気がする。
高菜チーズ食パンを、丁重に網に乗せた。そら、立派な高菜チーズトーストにおなり。

トーストが焼けるのを待つ5分は長い。待ちながら、わが家の夜食文化に思いを馳せる。

おいしくおなり

この習慣の起源は、もはや思い出せない。私や弟がある程度の夜更かしを許される年齢になった頃には、すでに根付いていたように思う。

だから家族四人で築いた習慣というより、両親がひっそりと開いていたサロンに私たちが途中参加して広がったような、そんな文化だ。
ちょうど夫婦二人の暮らしから、家族というコミュニティが生まれるように。


四人揃っての夜食が定着してから十年ほどの間、思えばいろいろなことがあった。生活習慣も変われば、それぞれの社会的身分も変わった。
にもかかわらず、夜食文化だけは、誰がこだわっているわけでもないのに生き残った。

三年前、弟が大学入学を目前に控えた春には、「もうこうして家族四人が揃って、寝る前の時間を過ごすこともないかもしれない」なんて話もしたりした。
サークルやアルバイトで忙しくなるであろう弟。一年後には社会人になる私。集まるのはきっと四人から三人に、三人から二人に。夜食はまた夫婦二人だけのものになるかと思われた。

しかし蓋を開けてみると、新型コロナウィルスが猛威をふるい、むしろ今まで以上に家族で過ごす日々が始まる。

同じ頃、離れて暮らしていた祖父が一緒に暮らすことになった。家族が一人増えたわけだけど、祖父は夕飯を食べると早々に床につくので、夜食人口は変わらない。

去年の夏、私が結婚した。しかし夫は入籍前から決まっていた単身赴任で大分に行ってしまっており、私は実家に留まっている。やはりわが家の生活は変わらない。帰ってきた夫が、たまに夜食の席に加わることはあるけれど。

こうしていくつもの節目をくぐり抜けながら、家族四人での夜食文化は今日まで残った。

チン。

トーストが焼けた音がする。

トースターを開けると、顔に熱気が押し寄せる。少し遅れて、よく焼けたパンと溶けたチーズの匂いが漂ってきた。
そっと持ち上げると、こがね色のチーズの表面がふるふると揺らめく。端っこは少し焦げていて、それがまたとっても魅惑的。

木でできたトレイの上に乗せ、ナイフで十字に切れ目を入れる。少しずれて均等な四分割ではなくなったけど、準備した人特典ということで、でかいピースは私とお母さんの分だな。

そしてお醤油をひと垂らし。ジュウと小さく音がする。胃袋をふるわし、舌の上によだれをほとばしらせる、そんな音だ。
仕上げに黒胡椒を少々、これで出来あがり。

高菜チーズトースト、出来上がり!

各々にくつろいでいた家族がテーブルに集まり、皆で手を合わせ、声を揃える。


「いただきます」


トーストの角を指でつまみ、切れ目に沿って引きちぎり、四分のひと切れを、口に運ぶ。

熱い。

最初の一口でほとんど釣れてしまったチーズと、その上にのった高菜を、ハフハフと熱いかたまりのまま飲み下し、ほとんどただのマヨネーズパンと化したトーストを少しずつ齧る。
この少し湿ったしょっぱいトーストが、私はけっこう好きだったりする。うまい。

ふと見ると、早食いの父はもう食べ終わっていて、私の淹れた紅茶をすすっている。弟はスマホを眺めながら、ゆっくり食べている。母はチーズに注がれる猫の熱烈な視線をかわしつつ、サクサクと食べ進めている。

おのおのが好きに過ごしながら囲うテーブル、あっという間に空になったトレイ。そう、四切れを四人で食べれば、あっという間に消えてしまうのだ。
もしここにいるのが三人だったら、二人だったら。高菜チーズトーストはまだトレイに残っていただろうか。


ぽつんと残されて冷めゆくトーストを想像する。想像して私は、「それは耐えられないぞ」と思った。


いつまでもこんな日々が続くなんて、もちろん思っていない。五年後、いや、来年の今頃だって、誰が家を去っていてもおかしくない。それはごく自然な変化だと受け入れているつもりだった。

でもいざ、ひと切れだけ取り残されたトーストを想像すると、減りの遅くなった紅茶を想像してしまうと、私は猛烈に寂しくなる。

何回もの「しかるべきタイミング」を切り抜け、離れるきっかけを見失ってしまった私たち家族は、一体どうやって分かれゆけばいいのだろう。
新生活のどさくさで別離の寂しさをごまかせないというのなら、一体どうやって気持ちに折り合いをつけるというのか。

切れ目に沿って切り離さないとしたら、私の心はいつまでもズルズルとこの日々を思い、引きずってしまうんじゃなかろうか。

ぽつんと残るひと切れを見るくらいなら、私が真っ先にこの家を出てゆきたい。


思えば、家族みんなで夜食を食べた後、真っ先にリビングを離れるのは、いつも決まって私だった。

洗い物を父か弟に頼み、家族に「おやすみなさい」と挨拶をして二階の自室に引っ込む。階下から時折聞こえる笑い声を聞きながら布団に潜り込み、目を閉じ、満たされた腹と心であたたかな眠りに落ちてゆく。
そんな眠りが気に入っているのだと思っていたけれど、今こうして考えてみると、少し違うのかもしれない。

本当は、夜食が終わって一人また一人と卓を離れていってしまう、その喪失感をあじわいたくなかったのかもしれない。



いつかやってくる別れは仕方ない。どこまでいっても、仕方ない。その時になったらきっと受け入れる。でも、


「お茶、おかわり淹れようか」


今夜の別れはちょっと、先延ばしにさせて。

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食べるマガジン『KUKUMU』の今月のテーマは、「夜食」です。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくはこちらのnoteをどうぞ。

編集後記はこちらからどうぞ!

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