見出し画像

きっかけの3.11-東京で死ぬのか

高校2年生の時に体験した、東日本大震災。
都心部から田舎へ移住した人の多くが、これが一つのきっかけになった、と言います。
私もそのうちの一人でした。

生き延びられない気がした

2011年3月11日14時26分
この頃はもう年度末で、学校の授業もまばらだった。
いつもより早く授業が終わって、私は友達と電車に乗って帰路についたところだった。
突然、電車が大きく横揺れして、はじめは突風が吹いたのかと思って「わーすごいすごい」なんて喜んでいた。
しかし数秒してもなかなか揺れがおさまらないので、おかしい、という感覚に。
しばらくしてから「地震」のアナウンス。
私はこの時もまだあまりピンときていなかった。

それから、2時間。
電車は止まり、ひたすら待った。

運が良かったのは、友達といたから心細くなかったこと。
時間帯的に車内の人も多くなく、座っていられたこと。
暖房が効いていたこと。
家から10kmほど離れたこの場所からなら、歩けない距離ではないと判断できたこと。
(ちょうど同じ場所を歩いてみたことがあった。)

電車が止まってから2時間後に乗客はみんな降ろされた。
大きな駅が近かったから、そちらに向かって歩く人の流れができていた。
後から聞くと、駅は帰宅できない人々で溢れ、その日は駅に泊まった人もいたらしい。
帰宅難民、というやつだった。

私たちは人の流れの反対を行き、歩いて家に帰った。
その日のうちに家に帰ることができて家族もみんな無事だった。

でも、もしこれがもう少し震源に近かったら?
もし歩いて帰れない距離にいたら?
もしもっと都心部で人の多い場所だったら?
もし周りに知ってる人がいなくて一人だったら?

漠然とした「いつか首都直下型地震が起きる」という噂話は、この時に具体的な恐怖感に変わった。
そして、もしそれが起きたなら、私は生き延びられない気がした。
生き延びられるほどの冷静さも、知恵も、判断力も、私にはない。
少ない物資を自分のものにするための強引さも。

東京で死ぬことへの違和感

自然災害は地震に限ったことではなく、いつどこで生活をしていても、突然、それまでの生活を奪われることはある。
けれど、人と建物がひしめき合うバランスの崩れたこの都会で「なにか」あったとき、その姿を想像すると凄まじい。

駅に溢れる人々。その臭い。息苦しさ。
人々に押され、まともに歩くこともできず、もはやどこへ向かいたいのかも分からない。
どこに向かってもきっと状況は同じ。
駅員や警察官に詰め寄る男の人の声。
トイレには行列。なくなるトイレットペーパー。
キオスクからも物がなくなり、その周りには座り込んでスマホを見る人たち。
通信は遅く、情報は駅のアナウンスのみ。
いつ電車が動くのかも、いつ家に帰れるのかも、何も分からない。

私はなぜ東京で生活しているのだろう。
当たり前のことで疑問にも思わなかった「東京に住んでいること」に、初めて違和感を覚えた日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?