幸せの正体とは何か?/入院中感じたこと
記事概要
今の私について(難病入院中の30代女性)
動画の要約
感じた/考えたこと
今の私
状況
今私は難病の再燃で入院中。入院してから月単位で経つ。退院までもうしばらく。免疫抑制中で色んなリスクがある。難病なので完治はない。付き合っていくもの。病気とともに20代から生きてきた。幸いにも体に障害はない。
私に今あるのは難病というオプション(個性ともいえるようになりたい)と、なんとなし(うまく言語化できないのが正直なところ)の生きづらさと、100%健康ではないけれどほとんど普通に生活ができるからだ。
そして減ったお金と、変化した人生と、大事な周りの人たち。
今回久しぶりに病気が再燃しての入院で精神面がやられた。
治療に使う薬の副作用かもしれないし、コロナ禍での入院という環境、私の既往や性格特性、色んな要因があると思う。
何かをせずにいられないそこはかとない焦燥感、やるせなさ、悔しさ、吐き出すことのできなさが募る中で様々なコンテンツに解を求めた。
私の心に響いた言葉やコンテンツを気が向いたときに発信するためにnoteに登録し、今病室のベッドに座ってこれを書いている。これは過去の自分へ向けた手紙なのかもしれない。
動画の要約
・羨ましいとはうらみ。うらむこと。
・孤立と孤高は違う。孤立であることは良くない。
・人間関係は人にとって必要。だがそれを保つのは苦しいし大変なこと、維持するのに力を使うこと。
・友を作る。夫婦、恋人といった関係は希薄。
・みんな与えられたい。自分から与えることで人は寄ってくる。そこから人間関係が繋がっていく。
・自分がその日その場その時にできることはないか?を考え実践すること。その先で友ができる。寂しさが抜けていく。特定の人とべったりといることが寂しさを紛らわすことではない。
・幸せは願っても降ってこない。自分から作りに行く。どこでも自分ができることはないかをあらゆる場面で人の立場にたって考える。
・自分自身にもうらみを与えている。ただひたすらに自分から与える。
動画を見て感じた/考えたこと
自己中心的な話
愛とは与えるもの。
慈しみを人は求めるけどそれは皆そうで、皆やさしくされたい。自分を大事にしてほしいと思っている。私だってそう。
自己中心的(いやな言葉だ)に言ってしまうならば、不安や辛さを抱える私にやさしく配慮してほしい。
同情してくれる人を求めたいし、気持ちを遠慮なく誰かにぶつけたい。何かに怒りたい。こうでなかったらと思うし苦悩と理想と現実の間で苛まれている。これが何年になるのか考えたくない。
自分よりも大変な人はたくさんいるのに、目線が自分にしか向いていないから孤独に思え、おごりたかぶっているのだ。
こんな私は大嫌いだけれどこれが私という人間の一面なのだ。見たくない、人には見せたくない、汚い私。なんてエゴイスティックだろう。
こと私に限って言えば、大人になったから自暴自棄にならずに平静を装っているだけで、根本では変わっていない。
羨ましい
入院とは様々な個人情報に触れる環境だ。あの人は何の病気で、いつ入院して、家族はこうで、治療方針は、退院は…。
急性期病院の在院日数は短縮化が進んでいる(コロナ禍もあるだろう)ため入退院は毎日。
退院していく人を見るのを、年配の方が「こんな大きな病気になったのも入院になったのも初めて」と話すのを、家族が家で待っている人を、子供がいる人を、私よりも早く治療が進む人を見るたびに思う。
「あぁ。羨ましい」
「なぜ私はああではなかったのだろう」
「なぜ私だけが」
「なぜ笑えるの?何がおかしいの?私はこんなに辛いのに(なぜあなたは幸せそうなの?)」
愚かさと慈しみ
羨ましいとはうらみなのだと、大愚和尚はいう。
うらみ、とは。
私は人をうらんでいたのだ。
誰かを大事にしたい、自分を大事にしてほしいと思いながら人をうらむ人をだれが慈しみの対象としてくれるのだろう。
今、減薬が進んでやっと睡眠がとれるようになってきた今、この言葉を受けとめようとすることができる。
入院直後は難しかった。勝手に自分の世界に入り込んで周りが見えてなかった。F太さんの言葉を借りるなら「主語が大きくなりすぎていた」状態で、「反応しない練習」の一説を借りるなら、「自分で自分の首をしめ、自分で自分の乗る船を壊し、水没し自滅していく」状況であった。
私に今できることは何だろう。与えられないことを嘆くだけの私に与えられるものはない。
今この場でできることを、行動に移せることを何かできるようになってから、自分の慈しみを向けることでしか慈しみは返ってこないと大愚和尚はいう。
続けること/変えてみていること
自分に今できることをなし、それを相手に求めない。与えればもたらされる。もたらされなければそれはそれ。ただ私がもたらしたという事実だけが残る。
それでいいではないか。これが馬鹿、お人よし、阿呆と言われようとも。
私は私にできることを今この瞬間にした。
その事実を積み上げていくことが、人生。
気持ちは移ろうもの
今日の私はこう思えるけれど、変わることもあるだろう。悲しい時も辛い時もあるだろう。落ち込めばいい。振り子のようにまた戻ってくればよい。
そう思う今日だった。
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