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自分の意見の曖昧さ | 傲慢と善良を読んだ感想を兼ねて


本を読んだ後、色々まとめたいな〜と思いつつ、考えすら整理できぬまま月日が流れてしまいました。


食品と同じく、感情も。
置いておくと発酵してしまうと思っています。

発酵して、違う意見になっちゃう。

味は全く違うんだけど、腐ったりカビたり、食べられないわけじゃないから、変わったことに気がつかなかったりしちゃう。そんなふうに思っています。

だから、今書く感想も、あの時のあの感情とはまた違うものになってるかも。


感情はうつろいやすい。

それに加えて、意見や感想という、
一見感情から派生して、一度完結したようなものですら、あっという間に上書きされてしまうなと常々思う。


たとえば本を読んだあと、ドラマや映画を見たあと、すぐに考察を読んでしまう時がある。
そんな、自分の感情や考えのまとまらない、柔らかい頭のうちに人の意見をよむと、どこまでが自分の感想かわからなくなってしまう。

ぼんやりとした考えをうまく言語化してもらえることもある一方で、すっかり人の意見を自分のものに重ねてしまっている時が、ある気がする。

朱色という感想が、赤の一言で上書きされたり。そこから派生して、真紅やオレンジに変化してしまったり。

文庫本で読む小説のあとがきも、SNSのコメント欄やM-1の審査員の意見も、それに似ているかもしれない。

さいきんはネットニュースや朝のワイドショーなんかも、事柄を知った人のリアクションを含めて、紹介されたりする。

そういうのはなんだか、自分の受け取り方を無意識に導かれている気がする。



傲慢と善良を読んで

(※ほんの少し結末に触れます)


"いまの時代"を生きている人の恋愛だと思った。
わたしと同じくらい時代に生まれて
いまの時代をこの世代として生きる人の、考え方だと思った。
(この感覚は、今回あとがきを書いていた"朝井リョウの著書"を読む時にいつも強く思うことでもある)

真実(ヒロイン)の行動や気持ちに、共感や理解ができるわけじゃないけれど、ほんの少し「わたしにもこの思想があるかもしれない」と思う部分があった。劇中にもそんな表現が出てくるけど、そう思える人はこの世の中にたくさんいそうだな、とおもった。

***

前に、価値観って変わっていくもんだねっていうのを少し書きましたけど


10代のわたしは、当たり前にルッキズムやセクハラを受け入れていたし(傷つくより前に疑問を持っていなかったかもしれない)、親世代と話すと、家父長制や男尊女卑の流れがすり込まれているなぁと感じる時もある。

きっとわたしもあの頃の武士に生まれていたら人の首を持って喜んでいただろうし、いまの10代としてわたしの学生時代をきいたら自然と怒りが生まれているかもしれない。

この本のように、時代は一緒でも、住んでる地域が違うだけで、全然違ったりするし。

曖昧なんだなー。


なんて。

とやかくいってるけどね。
なにを言いたいかというと。


わたしはこの小説の結末が、とても好きでした。
(これが読み終えて一番に思ったこと)


真実は、ずっと親の思想や価値観に疑問を持たずに生きてきた人で、いうなれば人の意見で物事を選んできた人、なんだけど。

結婚相手として相手を見る時
条件(人の意見)ではなく、本能(主に見た目)を重視していて。

そこが、とてもすきでした。


価値観よりも明確な、動物的な、本能を感じて。

なんかそこに、救われました。


今月末には映画が公開されるらしい。
気になっちゃうなー。


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