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ブルーローズの花言葉 第七章



青いバラ七十三本目 ジョシュの話 二十二


「サリー。もう一度会えたら、今度こそきちんと伝えたかったんだ。俺と結婚してくれ。ずっと一緒にいよう」

 その言葉を聞ける日が来ることを、心のどこかで俺はずっと待ってた気がするんだ。

復活の時

青いバラ七十四本目 ジョシュの話 二十三

 俺たちが魔法のバラの種でやろうとした「ローゼズ作戦」は、それまでよく知られてなかった時空やパラレルワールド、世界線の存在が世間に認知される先駆的な事例として世界的なニュースとなり、「ブルーローゼズ事件」と呼ばれ大々的に報じられた。
 結果的に、「バッド・ドリーム」店長の言っていたことは正しかった。前例がないため、当然ながら「世界線への干渉」に対する法整備もない。俺とイワンはとりあえずロンドン警視庁へ一時的に拘留されることとなったが、法曹界は俺たちをどう裁けば良いのか分からず、メディアも有識者たちも揃って頭を抱えていた。結局、「正義のヒーロー」によって未遂に終わったこともあり、「世間を騒がせた」として罰金と厳重注意という申し訳程度のペナルティーが課せられ、釈放されることとなった。

 釈放前夜のわずかな自由時間に、俺とイワンは食堂のテーブルに頬杖をつき、頭上のテレビをぼーっと眺めていた。
「かつて一世風靡したロックバンド・ブルーローゼズの元メンバーであるイワンとジョシュによるブルーローゼズ事件は、バンドの知名度を再び上げる皮肉な結果を招きました」
 BBCがブルーローゼズを話題にするのは「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演以来だった。懐かしんでいると、イワンが両の拳で胸を叩くゴリラの真似をしながら歌う過去の映像が流れた。あまりのグッドタイミングぶりとナイスな編集に俺たちは出がらしのロイヤルミルクティーを吹き出した。笑うこと自体がしばらくぶりだった。
 「ブルーローゼズ事件」をきっかけに、俺たちの世界でも「世界線への干渉」に対する法整備が急速に進むことになるんだ。まぁ、今のところ模倣犯は一人もいないけどね。余談だけど、この頃には一般家庭にもコンピューターと携帯電話が普及し始めていて、インターネットも誕生していた。これも余談だけど、袋にパンパンに詰められたタバコの吸い殻と俺のサイン入りポラロイドが売りに出されているのをインターネットで見つけて〈eBayとはこのことだったのか〉と愕然とするのは、もう少し先の話さ。

 ロンドン警視庁から一歩出ると、そこには百人は超えると思われる大勢のファンが詰めかけていて、俺たちを出迎えてくれた。それを見てBBCの報道は紛れもない事実だと知った。「イワンとジョシュは無罪だ」とシルクスクリーンで描かれたTシャツを着たファンもいた。彼らは俺とイワンに気づくと、わっと押し寄せてきて握手やサインを求めた。正直に言って、涙が出そうだったよ。イワンはゴーグルみたいなサングラスの奥でちょっと泣いてたんじゃないかな。それは秘密だけどね、ふふふ。
 ひとしきり終わって、ふと視線を感じる方へ向き直ると、そこには店長が立っていた。黒くて肩まである長い髪を一つに縛り、やはりあの変なフラスコみたいなビンを片手に持って、こちらへと進んできた。
「作戦は残念だったけど、大したことにならなくて安心した」
 彼なりに責任を感じていたらしく、店長は「ごめんね」と頭をペコリと下げた。
「店長、どうして俺とイワンに世界線を変える方法を教えたんですか?」
 俺は、かねてからの疑問を店長へ訊いた。
「もしかして、現役のバンドの方がグッズが高く売れるから?」
「それもある」
 それもあるんかい、と呆れた。
「でも、一番の理由は、もっともっと長い時間、ブルーローゼズのポップミュージックに触れたかったのさ。君たちが解散しないでいてくれたら、どんな曲を聞かせてくれたんだろう。どんなライブを見せてくれたんだろう、と思ったんだ。一応、僕もファンの一人だからね。ここにいる他のファンも、全員が同じ気持ちだよ」
 店長はフラスコ内の妖しいケムリを吸ってから、続けた。
「もちろん、彼らもね」
 店長の後ろに、いつの間にかアレンとマックスが立っていた。
「アレン、マックス」
 イワンが駆け寄ってきて彼らに頭を下げた。
「ブルーローゼズの名前を汚しちまった。すまねぇ……この通りだ」
「おいおい、やめてくれよ。むしろ俺たちは感激してるんだぜ」
 逆さにした植木鉢みたいなハットの下で、アレンの顔は笑っていた。イワンの涙腺はますます崩壊した。
「そうだぜ。お前らが世界線を変えてまで、俺たちともう一度バンドがやりたいってラブコールしてくれたんだから。こんなに嬉しいことはないぜ」
 ギャハハと笑ってマックスが肩を組む仕草をする。俺たちは四人で抱き合い、泣いてるのをファンに見られるのが恥ずかしくて、お互いの肩に顔をうずめた。
「良いなぁ。僕も入れてよ。一応、僕もローゼズだったんだから」
「ピーター」
「ありがとう、お前ら、俺にはもったいないくらい本当に最高の仲間だよ」
 イワンはもう完全に号泣していて、声もかすれていた。
「おお、そうだ、仲間といえば」
 店長がフラスコを口から離して割り込む。
「君たちに良い知らせがある。サリーが奇跡的に意識を取り戻したんだ」
 俺たちが無茶をしてまで欲しがったとんでもないレベルの朗報に、ついに人目を憚ることなく俺も泣き崩れた。

いつも二人で

青いバラ七十五本目 ジョシュの話 二十四

 ピーターが運転するバンに全員で乗り込んで、サリーのいる病院へと急いだ。何人かのファンとパパラッチが走って追いかけてきたが、どんどんと遠ざかってやがて見えなくなった。
 病院に到着すると、どこから情報を聞きつけたのか報道陣がエントランス前で待機していた。待ちくたびれたと言わんばかりに、これでもかとストロボを俺たちに激しく浴びせた。
「釈放された直後の気持ちを聞かせてください」
「この病院へは何をしに来たんですか?」
「メンバーの恋人がここにいると聞きましたが本当ですか?」
 様々な形状のマイクを俺たちに突き付けながら、ヤツらは口々に捲し立てる。
「待てよ」
 アレンとマックスがパパラッチどもの前に立ちはだかり、ここから先は一歩も通すまいと両腕を広げた。アレンは背後にいる俺たちに「早く行け」と目配せしたのち、堂々とした佇まいで言い放った。
「ブルーローゼズのアレンだ。君たちの質問には俺らが代表して応えるよ」
「今日は君たちにビッグニュースを持ってきたぜ。ブルーローゼズは復活したんだ」
 マックスはゴキゲンなニコニコ顔でギャハハと笑った。同時に、一堂に会した報道陣はざわついた。
「イワン、これまでの騒動は、再結成の宣伝のために起こしたものですか?」
「どうだって良いだろ? そんなことよりも、偉大なバンドが復活したんだ。君たちもっと素直に喜びなよ」
 イワンはサングラスを外してウインクをお見舞いすると、「じゃあな」とピースサインを残して一気にエレベーターへと飛び込んだ。全盛期と変わらず綺麗な顔をしたフロントマンの突然のサービスに、その場にいた女性の全員が仕事を忘れてうっとり惚けたことは言うまでもない。

 病室に駆け込むと、サリーのご両親とエヴァがいた。誰よりも早く、サリーのベッドにイワンがひざまずくようにして飛びついた。その後ろに俺も続いた。サリーはすぐに俺たちに気がついた。全身に巻かれた包帯が外れて青白い肌が見えていた。彼女の小さな顔が笑顔で綻んだのが分かった。
「来てくれたのね……」
「ああ……ここにいるよ」
 イワンはサリーの右手を両手でギュッと握りしめた。二人の手にポタポタと涙が落ちた。ご両親も、エヴァも、それを見て泣いていた。俺も堪えきれずに口元を手で覆った。指の間から涙の味がした。
「私ね……夢の中で、イワンのお祖父さんに会ったのよ。公園のベンチの上で、たくさんあなたのお話を聞いたわ」
「うん」
「あなたがブルーローゼズのリハーサルで初めて歌った時、メンバーが『もう耐えられないぜ』って顔をして、それで観念して歌のレッスンを受けたこと」
「うん……えっ?」
「リリーというおばあさんの先生に通行人の前で歌うように指示されて、悪態付きながらもちゃんと歌ったこと。誰にも知られないように、こっそりレッスンへ毎日通い続けたこと。私の知らなかったあなたのこと、全部教えてくれたわ」
「ははは……じいちゃん、俺の秘密まで教えるなよ」
「俺も初耳だわ……」
 イワンの隠れた努力を、まさかここでこんな風に聞かされるとは思わなかった。
「あなたを、お祖父さんはとても誇りに思ってたわ。『君はまだこっちに来てはいけないよ。イワンをよろしくね』と彼に言われて、目が覚めたの」
 鳶色の瞳にいっぱい涙を溜めてイワンは聞いている。
「あなたに、ずっと会いたかった」
「うん……俺もだよ、サリー」
 イワンは天使みたいな微笑みを浮かべて、握ったサリーの手に頬を寄せた。
「会ったら、言いたかったことがあるの」
「俺もだよ、待ってくれ、先に言わせてくれ」
「愛してるわ」
「参ったな。言われちまった」
 二人を残して、俺たちはそっと離れていった。イワンから次の言葉が聞けた時、俺は心から嬉しかった。
「サリー。もう一度会えたら、今度こそきちんと伝えたかったんだ。俺と結婚してくれ。ずっと一緒にいよう」

 自宅に戻ると、ローズが結婚祝いに買ったお揃いのマグカップでコーヒーを淹れてくれた。彼女は一つを俺の前に置き、もう一つにゆっくりと口をつけた。
「心配かけて、ごめん」
 彼女は左右に首を振った。
「おめでとう、ジョシュ。よく頑張りました」
 ローズはニカっと笑って俺の頭をクシャクシャと撫でてくれた。子供みたいだったけど、最高な気分にしてくれた。自分が誇り高く、世界一、偉い人間になった気がした。  
 ローズに会えて、俺の人生も捨てたもんじゃないと思えた。

青いバラ七十六本目 イワンの話 二十四

 サリーが退院する日を迎えた。
 病室に入ると、彼女は既に身支度を終えていた。
「さっき、ジョシュも来てくれたのよ」
 俺に気がつくと微笑んでくれた。
 彼女は俺に何かを差し出して見せた。「サリー」の歌詞が書かれた、古ぼけたメモだった。
「ジョシュに貰ってから、ずっと手帳に挟んでいたの。何冊新しくなっても、お守りみたいに」
 サリーは懐かしそうな瞳をした。
「こんなこと言うのは前の夫に悪いけど……誰といても、あなたはずっと特別な人だった。私の人生で一番激しくて、幸せな時間を一緒にいられたからね」
 春の陽光が降り注ぎ、穏やかな風がカーテンを揺らした。
 俺は彼女に手紙を渡した。いつか、サリーに会ったら聞いてみたいことを思いつくまま便せんにしたためた、あの手紙だ。渡せないまま、ジャケットのポケットのなかでずっと眠っていたのを引っ張り出してきたんだ。彼女は受け取ると、封筒から便せんを取り出して目を通した。
「君に聞きたいことがたくさんあるんだ。これからは、俺の隣で答えを聞かせて」
 サリーは、はっとして手で口を覆った。便せんの間に、婚約指輪が挟まれていたのに気がついたからだった。
 俺はひざまずいて青いバラの花束を彼女に差し出した。
「サリー。俺と結婚してください。今度こそ一緒に幸せになろう」
 彼女は木漏れ日の中で泣いていた。俺は世界一、美しい光景だと思った。
「ありがとう、イワン。私、もう幸せよ。生きてあなたにまた会えたんだから」
 俺たちはお互いの顔を覗き込み、泣きながら笑った。

「おめでとー!!」
 大きな歓声とともにパァン! というクラッカーの割れるゴキゲンな音が鳴った。俺とサリーが窓から庭を覗くと、あいつらが全員こっちを向いて拍手を送ってくれていた。
 「バッド・ドリーム」の店長も、ピーターも、エヴァも、アレンも、マックスもいた。その中心に、ローズとジョシュが並んで立っていた。
「おい、ついにやったな! 今度こそうまくやれよ!」
 ジョシュは俺に右手を向けてグータッチをする仕草をした。
「おう、お前らもな。いつまでも末永く、仲良くしろよ」
 俺はもちろん笑顔でグータッチを送ってやったさ、世界で最高の親友に、な。ははは。

エピローグ

And They Lived Happily Ever After.

 大晦日のイギリス・ロンドン。
 ハイドパークの特設ステージで、ついに今夜、ブルーローゼズが完全復活の時を迎える。

 会場入りする前日、俺とサリーはじいちゃんが眠る墓地にいた。俺は彼の墓の前で、ずいぶんと長い時間をかけて感謝の言葉と祈りを捧げた。ようやく顔を上げると

じいちゃん、もしどこかで見てるなら、いつでも出てきてよ」
 と笑って見せた。サリーは、新しい命が宿るお腹をそっと撫でていた。
「おい、そろそろ行こうぜ」
 車の運転席から顔を出してジョシュが言った。俺たちが後部座席に乗り込むと、ロンドン目指して高速を突っ走った。

「なあ」
「なんだよ」
 ミラー越しにジョシュのブルーの瞳と目が合う。
「緊張してる?」
「まさか」
 ジョシュは鼻で笑った。
「なんたって、俺たちは『ブルーローゼズ』なんだからな。世界一のバンドのメンバーが、緊張なんてチンケなことするかよ」
 俺もつられて笑って「そうだよな」と返した。

 青いバラの花びらを模した紙吹雪が舞い散り、ビッグ・ベンが鐘の音で新年の訪れを知らせる。澄んだ冬の夜空を花火が彩るのを、ロンドン・アイが見守っていた。
「待たせたな。復活の時をともに楽しもうぜ」
 俺の声に応じるかのように、世界中から詰めかけた十万人以上のファンが叫ぶ。盛り上がりはクライマックスを迎えた。ジョシュのサイケデリックなギターリフがバンドの新たな代表曲「アイ・アム・ザ・レザレクション」のイントロを紡ぎ出すと、アレンによる目にも留まらぬ速さのドラミングと、マックスのヒップなベースラインが加わる。名実ともに、ブルーローゼズのポップミュージックが世界の頂点に君臨した瞬間だった。

 これが、君たちインタビュアーが知りたかった「ブルーローゼズ事件」の全容さ。
 俺たちは過去の失敗を変えることはできなかった。不可能だった。だけど、これから夢を叶えることはできるだろう。なんと言ったって、俺たちは「ブルーローゼズ」なんだからな。

                                      Fin.

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