初めまして。 小学生と4歳児の姉妹の母です。 冬の始まりには3姉妹の母にアップデートする予定。 年齢は昭和の終わりに生まれたミドサー(アラフォーとはまだ言いたくない笑)です。 新卒で入った会社に現在も勤めています。 20代半ばで結婚、後半で第一子を出産、30過ぎでマイホーム購入、と極めて平凡、よく言えばまぁまぁ順風満帆な人生を歩んで来ました。 が、次女を出産して私の人生は大きく変わりました。次女は障害を持って生まれて来たのです。1歳になる前に病気が発覚しました。 発覚か
次女、持病のてんかんの重積発作でまた入院してしまった。 前回の入院からまだ1ヶ月も経たっていないのに。 ここ最近頻度が高くて落ち込む。 病院の先生からも、この病院の小児神経科の中でもトップクラスの頻度で カンファレンスでも今後の治療をどうしていくかで先生達の中で議論が白熱しているとか何とか。 これからもっと悪化したらどうしよう 考えるだけてどんどん落ち込んでくる これからの人生、どうなってしまうんだろう 考えてもわからない、考えてもどうしようもないことに落ち込む 本
次女は生まれつき障害があり 今4歳ですが自分で座ったり歩いたり ご飯を食べたり上手く物を掴んだり といったことができないため 週一でリハビリに通っています それにプラスして最近訪問リハビリも始めたのですが その時に何でかわからないけど、 何かモヤっとして でもその翌日、あー私はこういう理由で モヤっとしていたんだ! と気が付いたので、まとめてみます さぁこれからリハビリを始めていきましょう! というその前に リハビリの先生は患者の体をよく観察するんですよね(評価と言うら
12月に出産予定のため 最近産休に入ったのですが 社内の人や社外の人に挨拶した際に 健康な赤ちゃんを産んでね! と毎度のように言われた 次女のこともあり あ、健康か… と何とも言えない気持ちに まぁそんなのは定型文だし 病気の時にお大事に!と言うのと 一緒なんだろうけど 健康なのが一番だし 健康がいいに決まってる そうなんだけど 必ずしもそうじゃないことも あり得るわけで… 今まで何とも思わなかった言葉や 自分も何気なく発していた言葉に 当事者になってみて、はっと気
義母に前、 テレビで脳性麻痺の子がたくさんリハビリをしたら歩けるようになっていたよ! だから私もたくさん刺激を与えてあげる! 諦めないから! と言われて 返す言葉に困った わかる、 気持ちはよくわかる 私も次女の障害がわかってから1年くらいはそんな感じだったから 努力すれば、 頑張れば、 この子はきっと歩いたり話せたり出来るようになるかもしれない! だから私もできることは全部しよう、と でも現実はそうではなかった 頑張りや努力が必ず比例したり 結果に繋がる訳ではで
ずっと観たいと思いつつ観れていなかった 「ゆとりですがなにか」 をようやく観た (と言っても放映してたの2016年春、今から7年半も前) 近々映画やるみたいだし、産休入ったら行こうかな〜 そして今絶賛コロナ療養中(家族で私だけ)で することないので TVerで観てみることに! (TVerだと全部見られず、Hulu入った笑) そしたら主人公みんな同い年(87年生まれ)だし 主人公の働く居酒屋は高円寺だし その当時高円寺に住んでたのに何で観てなかったんだろ〜 って今更だけど
長女の8歳の誕生日 おめでとう あの日からもう8年も経つんだね 大きくなったね たくさん成長したね と心からそう思えた でも次女の誕生日はどうだろう 次女の誕生日ももちろん嬉しいけれど 単純に嬉しいだけじゃない 色んな感情が混ざり合った 何とも複雑な気持ち 次女のことはもちろん大好き 長女と同じくらい大切な存在 なのに何でだろうと考えた時 産まれた時には思い描いていなかった未来が 今ここにあるからなんじゃないかな そう思った だって産まれた日は無事に生まれ来てく
次女がまた持病のてんかんの発作が止まらず 緊急搬送からの入院に。 私は妊娠8ヶ月で3人目だからなのか 今にも産まれそうな臨月並みの大きいお腹のため、夫が付き添ってくれている。 前回から1か月も経たないうちにまた入院。 9月はその入院の後、アデノウイルス(長女次女)、インフル(家族全滅)に罹り やっと落ち着いたと思っていたら 今度は長女が小学校で前歯を打って呼び出し からの今回の発作 と次から次へと常に何かが起こっている 私は来週いっぱいで産休に入るため やらなきゃいけな
障害児や病児を育てている親なら 子供の死について考えたことがある人は 多いのではないかと思う 我が家の次女はてんかんの持病があり 発作がなかなか止まらずにしょっちゅう救急車を要請し 大抵の場合は1泊で済むけど入院をしている 病院に行けばすぐに止まることが多く 幸い後遺症などもなく済んでいるが 止まらなかったらどうしようという恐怖は常にある 娘がもしも死んでしまったらどうしよう 健常児の親ならそんなこと考えないのかもしれないけれど どうしても頭をよぎる瞬間がある 娘がも
次女の障害がわかってから約3年半 母と何度も何度も衝突してきた 辛い時、苦しい時、ただ弱音を吐きたくて でも母が言うことに少しでも反論したら じゃあどうするの? とか じゃあ仕事辞めたら? とか ろくに話も聞いてくれずに 正論や極論を浴びせてくる 私は正しい答えが欲しいんじゃない そうだよね、大変だよねって 話を聞いて、ただ寄り添って欲しいだけ 今日もまたそんなことがあり どんなに話してもきっと分かり合えないし それぞれの生活が大変だから もう関わり合うのはやめましょ