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福永武彦・編『室生犀星詩集』
室生犀星の詩をしっかりまとめて読んだのははじめてかもしれない。
健全潔癖な、生まれたての無垢な自然主義的ヒューマニズムが苦手な私には、室生犀星はきっととっつきにくい文学者だなんて、そんな先入観があったから。それは半分は当たっていて半分は間違っていた。
解説で編者の福永武彦が書いているように、犀星は武者小路実篤みたいな「楽天的自然主義」とはあきらかに距離を置いている。ひねた自虐表現のような、まっすぐ実直ながらやはりペーソスと言わざるを得ないような、そんな苦みが彼の詩にはあって、しかもそれが年経るにしたがって良い感じに熟成されていく。
若い頃の詩より、私はだんぜん晩年の詩のほうが好き。たぶん、50年前のひとならそうは言うまいが。
こんな詩をひとつひいておく。
昨日いらつしつて下さい
きのふ いらしつてください。
きのふの今ごろいらしつてください。
そして昨日の顔にお逢ひください。
わたくしは何時も昨日の中にゐますから。
きのふのいまごろなら、
あなたは何でもお出来になつた筈です。
けれども行停りになつたけふも
あすもあさつても
あなたにはもう何も用意してはございません。
どうぞ きのふに逆戻りしてください。
きのふいらしつてください。
昨日へのみちはご存じの筈です、
昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
その突き当りに立つてゐらつしやい。
突き当りが開くまで立つてゐてください。
威張れるものなら威張つて立つてください。
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