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お生理のタブー視と、スーパーヒロイン生理ちゃんの出現。

「男子」と「女子」に分けられた、保健体育の1時間。あの1時間で、私たちが失ったものは大きい。

時代が違うから、今は変わったのかもしれない。だけど、未だに性教育が足りていないことは事実だろう。

震災の時、生理用品は支援品としては性的なものであるから後回しにされたと聞いたことがある。性差としての性的なではなく、エッチなという意味の性的である。
生理が性の象徴として、扱われる理由とはあの保健体育の時間が関係しているのだろう思う。
生理用品なしで生理を過ごさなければいけないことは、どのようにも形容し難い。
「トイレットペーパーなしで用を足す」なんて緩いものではない。

年頃の男女を分けて授業をする。
あの時から、生理は女子にとってナイショの話になったし、男子にとっては触れてはいけない話になった。

女子にとってもだ。
生理で具合が悪いと休む女性に対して、「私たちはそんなことで休まないのに」という冷たい目が向けられる。
同じ女性同士でもなぜか我慢比べが発生する職場もある。
我慢の美学は、昭和に置いてきてほしい。


男子にとっては、「女子の事情」でしかない。
女子にとっては、「我慢が当たり前」のイベント。

小学生の時、同級生のよっちはお腹を痛そうにしていた。周りよりも背が高く、身体が発達していた。男性の担任教師に「トイレ行っておいで」と言われていた。
よっちが「生理だよ!」と言える教室だったら、もっと楽だっただろうなあと思う。


生理ちゃんの出現は、まさにスーパーヒロインだった。
出会った時は、ウキウキした。これが令和かと。

小学生の課題図書になればいいなぁ。
性欲くんが出てくるのも、面白い所なのです。

「生理は病気じゃないのにね」by おもいでぽろぽろ



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