見出し画像

ブランディングで「自分」という作品をデザインし、創造する勧め

こんにちは!
ブランディングコンサルタントのりりです!

来年2022年1月で、住んでいた港区からイギリスへ移住して4年が経ちます。
港区という、人にも環境にも恵まれた環境をかなぐり捨ててまで、手にした移住生活。この背景には、「自分という作品は、自分が一生かけて創る」という20代に培った信念のもと、大きく人生の選択をした自分がいました。

私にとっての現代の「風の時代」とは?

「風の時代」と言われて久しく経ちますが、実は私にとっては、あまりしっくり来る言葉ではありませんでした。けれども今、年末を控え、諸々振り返ってみて思うことは、国境を超えて、人種を超えて、価値観を超えて、個々が自由に自分の人生や在り方、生き方、働き方を選択できることなのかな、と自分なりにリアルに解釈し始めました。

自分のキャリアは会社や人事が決めるものか?

振り返れば20代の頃から、私は、「自分のキャリアは会社の人事が決めるものではない、自分が決めるものだ」ということを意識してきました。20代から自分のキャリアを意識して築き上げ、そしてやはり30代で、会社は自分を守らない、会社は結局何も自分にしてくれないのだということを、身を持って体験してきました。国会議員たちを間近で見ていても(元政治番組キャスター時)、彼らを完全に頼れるわけではないことを目の当たりにしてきました。

つまり、個人が、会社や国におんぶにだっこで頼るのは幻想に近いものだ、ということを30代から気付き始めたのです。会社が何かしてくれる、国が何かやってくれるということをあてにするのではなく、自分の仕事や働き方は、自分の意思や将来設計に沿って、自分で創り上げていかなくてはならない、ということを改めて、危機的に体験してきました。

自分が生きる場所や国を真剣に選び始めた

そこからです。自分が税金を納める場所や国、自分が将来子どもを産み育てる場所や国、自分の将来を投資する時間とお金を託す場所や国、を真剣に考え始めたのは。

私の妹は、彼女が20代の時にアメリカ人と結婚して、早々にアメリカへ移住しています。そこで彼女から聞き知る話や見たこともない世界は、私の将来設計図をより大きく刺激しました。つまり、その当時にわかってしまったことは、特段、日本だけに居てずっと仕事をしたり、出産したり、自分の子供たちを教育する必要はあまりないのではないか、と。

ブランディングが教えてくれた自分の人生設計

20代、30代だった頃の私は、大好きな広報やPRコンサルタントの仕事をしていました。その頃から、ブランディングというものに触れていたんですね(笑)。広報として所属していた当時の企業や、またPRコンサルタントとして担当していた外資系クライアントのブランディングを考えれば考えるほど、私は自分のブランディング、自分の人生ブランディングこそを意識せざるを得ませんでした(笑)。

つまり、自分は将来、どういう自分で在りたいか、どういう仕事をしていたいか、どういう働き方をしていたいか、どこに住んでいたいか、どこで子供を産み、育てていこうか、どこの国に税金を納めていき、対価としてどんなサービスを得ようか、またもっと言うと、どう生きていきたいかなどと、ブランディングを通して更に意識していくようになりました。

ブランディングという手段を通して、自分の作品をデザインしようとしていたんですね。自分の作品のポジショニングを探っていたのです。

一回限りの人生、より贅沢に生きるために

私が20代の時、ある一人の友人がこんなことを教えてくれました。「りり、一回限りの人生、贅沢に生きようよ」と。この贅沢という意味は、経済的なものではなく、一回限りの人生を、いかに笑って、泣いて、感動して、という贅沢さの意味だと、その友人は諭してくれました。

40代に入り、イギリス移住企画を前にして、私は自分の人生の選択に、ほとんど迷いはありませんでした。ブランディングという手段で、今よりも自分がより豊かに、より幸せになるために、いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい感動する自分になるために、自分の責任で生きていく場所、家族で過ごす場所を決めていくということに、戸惑いはありませんでした。

イギリスへ移住して間もなく4年が経ちます。引き続き、ブランディングという手段で、私は、私という作品を創っていっています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?