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イギリスに来てからの思わぬ副産物。「私」が主語に来れて、表現する武器を手に入れられた!

私は3年半前にイギリスに来て、「表現する」という武器を手に入れました。この表現する武器というのは、自分が主語となり、自分の言葉で、自分の考えを語り、自分の伝えたいことを言語化する、という意味です。

イギリスに来てからの副産物①「”私たち”や”世間”ではなく、”自分”が主語に来れたことによって見えた新鮮な世界」

そもそも、日本に住んでいた時は、控え目でいることが美しい、自分を表現するのは二の次として、自分を表現する場があまりなかったように覚えてます。もとより、自分を表現する場自体が、あまり求められていなかったように思います。

けれどもイギリスへ移住してきてから、周りのイギリス人に「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」というように、「私」が主語となって表現することが、多く求められるようになりました。

久しぶりでした。新鮮でもありました。「私はこう思う。」というシンプルな発露であっても、「私」が主語に来ることができて、自分の考えを堂々と伝えられるということが。

日本にいた時、正直、「主語」を使って話すことを意識したことは、あまりなかったように思います。「主語」がなくても、大体、周囲には「こういうことだよね?」と暗黙ながら伝わっていたように思うからです。

けれども、イギリスにいると、当然のことながら英語の主語は「I」で表すので、否が応でも、「私が、自分の考えを表現する」ということに一回一回、意識がついてまわります。「We」でもなく、「They」でもなく、「I」で表すのです。

表現する武器を手に入れ、生きている感覚を手に入れた!

「自分の考えを、自分が主語に来て表現する」という武器を得てからというもの、私は加速度的に、自分のやりたいこと、やりたかったこと、伝えたいこと、言語化したいことを、日本語の亡者のごとく、アメブロやTwitterにて表現をぶつけて参りました。

結果、とっても気持ちが良いのです(笑)!自分が生きている、という感覚を持てていることに気付きました(笑)。大袈裟なようですが(笑)、イギリスに来てからというもの、自分を表現するという武器を使うことによって、自分の生をたらしめているというか、サバイバルできているというか、それらを可能にさせているのです。

私が中学時代の頃、歌手のマドンナの曲で『Express Yourself』という曲が流行ったのですが(笑)、あの時の私は「自分を表現するってどういうこと?!」と、全くマドンナの意図するところを理解できていなかったのですが(笑)、今となっては、何となく掴めるようになりました。

イギリスに来てからの副産物②「英語に翻訳しやすい日本語へと変化」

イギリスに来てからまた変わったこととして、副効果的に、自分の使う日本語が、とてもシンプルになりました。余計な肉付けや、くどくどとした長い回りくどい言い回しがなくなり、結論から相手に伝え、その理由を説明していく、というようなシンプルな形を手に入れたからです。

主語だけでなく述語においても、動詞がより明確になりました。

自分の話す日本語が、英語に翻訳しやすい日本語へと変化していったんですね。この変化には、正直、自分でも驚きです(笑)。

イギリスに来てからの副産物③「表現の自由を手に入れたことにより、自分の解放が起こった」

私は声高らかに、皆さんに「遠慮なく自分を表現しましょう!」と伝えたいです。「私たち」でも「世間」でもなく、「私」を主語に据えて、どうか、正々堂々、自分の言葉で、自分の気持ちや考え、思ったことなどを言語化していき、ご自分の話を展開して頂きたいです。ご自分のストーリーを、堂々と、語って頂きたいです。

私が、自分の言葉で、自分を主語に持って来て自分の気持ちを伝える、言語化できたことによって、なぜか、自分が解放されたような気持ちになりました。自分が自由に解き放たれたような感覚です。

そしてその後、今度は自分が愛おしく感じるようにもなっていきました。自己肯定感という大それたものとは少し違いますが(笑)、自分が好きになると言うか、自分を認めてあげられるという思わぬ副産物も、表現の自由を手に入れたことによってついてきたように思います。

イギリスに来て、私は完全に、脱皮しました(笑)。「日本語で自分を表現する」武器を手に入れてからは、言葉で表現するのが苦手だった、自分の話を展開するのが不得手であった過去の私から、しっかりと訣別できたのです。

私はこの脱皮できた興奮を体系化しました。そして、周りの皆さんと共有すべく、「ストーリー×ニュース」を活用した、「ひと」の喜怒哀楽を動かすコンテンツ作成プログラムの誕生へと繋がっていきます。

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