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荻窪 明け渡しの日

2016年、正月明けてすぐ2日の午後に、ずっとお世話になってきた親戚の弁護士H氏から、練馬駅改札で「実家の鍵」を受け取る。私より10才ほど上の彼は、ここ数年間、いや10年以上に渡って、実家をめぐる親戚との争いに、父から私へと、わが家の代理人として関わってくれていた。それがようやく解決し、貸借していた実家は明け渡されたのだ。しかし、一緒にそこへ行くはずだった父は、昨年秋に亡くなっていた。失意の底にいる母は、もはや一緒に行こうとはしない。

翌朝8時過ぎに妻と家を出て、9時に荻窪駅に着く。正月ということもあり、人はまばらだ。タクシーで南荻窪の家の前に付け、門を開け玄関へ。門にはO家、玄関には我が家の表札があった。玄関前、生垣で隔てた右横の台所外は、粗大ごみがいくつかそのまま放置されていたが、まあそれほどでもない。最後に処分に困り、置いていったのだろう。

玄関を開けるときは、少し緊張した。10数年ぶりの室内。玄関より中へは決して入れてくれようとはしなかったO夫妻。誰もいない。空っぽの空間。引っ越し後の旧家独特のかび臭いにおいが漂う。玄関中央にはアマリリスの造花が私たちを待っていたかのように飾られていた。N子さんらしい。美学と矜持。

天井の高い台所は、ほぼ昔のまま。中央の居間も。汚れた電気カーペットが置いたままになっていた。もちろん電気はつかない。中央の居間の雨戸も昔のまま。真っ暗だ。よどんだ空気。後で開けよう。

入って左の2室に向かう。こちらは雨戸が新式のものになっていた。その外部を庭の前の小テラスに改築したことの関連だろう。左2室は、晩年はほぼ収納部屋だったのだろう。ここも布団やカーペット以外は、ほぼ残置物なし。床の間の部分に横長の低い桐ダンスが残っていた。N子さんの着物を入れてあったのだろうか。

一番奥の部屋の床の上に、1冊のアルバムが置いてあった。戦前の東京商大(現一橋大)の重厚な卒業アルバム。祖父のだ。初めて見る。かつて見せてもらった祖父の戦中日記はなかった。持って行ったのか。これも、玄関の花と同じ。メッセージに満ちている。

かつてのO家の夫K氏の部屋から、奥の改築された広いバスルームへ。老境に入ってからかつての病が重くなり、入浴だけが最後の楽しみだったようで、そのためにこの旧家に似つかわしくないバスルームを作ったと聞いた。
一体この費用がいくらかかったかはわからないが、これが退去要請を拒み、事態を拗らせた一因ともなった。改築を許可してしまった父も、優柔不断だった。その時期に既に拒否すべきだったのだ。戦前からの朽ち果てた家屋には別世界の、広くきれいなバスルームがそこにあった。

中央の部屋の雨戸を開け、庭へ。私が知る昭和の頃の姿は見る影もない。老々介護でもあった子供のいない夫妻だったO家には、とても維持できない状態になっていた家と庭。廃材の山が残されていた。庭の小屋も既に壊れていたのか、壊して処理したのか。戦中、小学生だった父が、生活のために飼育を手伝っていた鶏小屋。

網が貼ってあるエリアは、彼らの日光浴のための小さなテラス。庭を掃除できないための、苦肉の健康対策だったのだろう。もう既に外部を拒否した自分たちだけの空間がそこにできていたようだ。

いろいろなことを感じながら、しばらくこのごみ溜めの庭にいた。小学校の時、縁側から見た庭の風景を思いだそうとしたが、思い出せない。

妻が、雨戸をあけた家の中から、「そろそろ出ましょうよ」、と呼んだ。
そのとき、隣の同様の古い家から、白と黒のぶちの猫が一匹入ってきて、
木の前で僕をじっと見ていた。ずっとこの家と生きてきた半野良猫だろう。

N子さんは無類の猫好きで、この界隈で猫おばさんといわれるほどだった。「猫の自由」を何よりも重んじる人で、車に轢かれてしまう猫たちを何度見ても、それを改めようとしなかった。無数の南荻窪の猫たちが、この家の中を通り過ぎ、生まれ、死んでいった。たくさんの写真が残されている。子供のいないO家は、それを「共生」と呼んだのだろう。人生の早い時期から、不治の病となった夫を抱え、それでも彼らが生きる場所といえば、ここしかなかったのだろう。しかし、その夫も、争っていた私の父も、一昨年来、立て続けに亡くなった。残されたのは、彼女だけだった。築80年以上の朽ち果てた木造家屋をこのままにしておくことはもはやできなかった。

一通り写真を撮り、また外へ。同じ時代からあった向かいの廃屋は、以前に比べ、妙に整理されていた。もう人は住んでいないが、所有者がいるということを主張しているかのように。いずれ、近いうちに、ここも解体されるのだろう。

南荻窪の閑静な住宅街を、妻と歩いて駅まで帰った。祖父からの家の歴史はここで終わりとなるだろう。F家はいろいろな意味で放浪しすぎた。その報いがこのように下ったのだ、と思うことにした。さようなら、南荻窪。

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