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ポエムかよ

ねえ、君はどんな時に詩を書きたくなる?
…え? 書かないの?
いやいやいや、そーゆーのいいから。ダルい。
マジでマジで。真面目に。
書かない? 読みもしない? は?
なんで? それは、何かきっかけがあったの?
別に、言いたくなかったらいいんだけど。
嘘でしょ? 信じらんない! みんな書いてるし。
そんな人聞いたことない。未来ないじゃん。
え? 逆に、逆にさ、いったん落ち着いて?
あの、じゃあさ。何が楽しくて、生きてんの?
ああ。わかったわかった。
つまり、モテようとしてるんだね。

…っていう。
以上のくだりにある「詩を書く」の要素を、「性行為を行う」に置き換えてもらえたら。
そして、あなたが詩に興味のない人だったら。
アセクシャル(特に男性の体をもっている場合)の生きづらさが、少しは伝わるかもしれないね。
詩と性行為を、同列にはもちろん語れないけれど。

私は、詩が地味に好きなんだよね。
書くのも読むのも。
だからって、あらゆる分野で一番好きってわけじゃないな。
同時に。詩に触れる習慣のない人にとっては本当、どーでもいい話じゃない? 好き嫌いの区別すらしないレベルで。

実際問題、詩情を解さない人って、結構いる。
正直、私はそーゆー人たちを、心のどこかで憐んでいる。
だけど彼らも、好きな歌詞があったり、好きな作品のセリフがあったりするわけよ。
だから「フレーズに対して鈍感」ってことじゃないと思う。
触れる機会が少ないのと、その分野のスキルを磨くことに関心がないだけ。

私はそれを「もったいない」と感じてしまうけど、本人からしたら余計なお世話よね。
だからほっとく。
「私はそうは思わないけど、そういう人もいるんだね」って、ほっとく。存在否定はしない。
いろんな多様性に対しても、そうなれればいいのにね。

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