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そういや私、昔最強だったわ。忘れてた。

情報伝達を第一義とすれば、最小限の表現は追究できる。が、それならTwitterなどで良い。

あえてnoteを使う以上、効率性よりも、その人ならではの表現を目指した方が良いのでは。

そこで、文体の話。
ぼくは、困ったことに。
ぼくの書く文体が好きなんだ。

まだ。まだ、我慢しているなぁ。
ここで自分を出すことを。

元々、小説を書くのが趣味だったもので。
基本、作品内のキャラクターに乗っかって書いていた。演じるのに近い感覚。しかも憑依型。
エッセイ的なスタイルで書くことは少なかったから、自分自身の人格を背負って文章表現をすることに不馴れなんだろう。

でもやっぱり、憑依してもらった方が書きやすい。その方がむしろ、ぼくならではの味を発揮できるんじゃないだろうか?

これをnoteでやろうとしてこなかった理由は、
・記事ごとに口調が変わると、ふざけた風に見られるんじゃないか。という恐れ。
・特にセクシャリティに関して、口調のせいで誤認されたくなかった。
・できないことをできるようになろうと、身の丈に合わない向上心を抱いていた。
だと思う。たぶん、きっと。

狙ってるわけじゃないけども。
シレッと書きやすい文体は、ある程度パターン化してるのよね。キャラの引き出しが少ない、とも言う。
・謎の中性的な少年 小学生くらい 
・謎の中性的な少年 高校生くらい
・厭世観丸出しのシニカルなおっさん
・やさぐれたアラサー女
・オネェ
・無愛想な女子高生
・大学デビューした女子大生
・イモっぽい女子大生
・「くっ殺せ」とか言いそうな女騎士
…列記してみたら、思ったよりひどかった。なんだよ女騎士って…
や、別に上記のキャラに徹するワケじゃないよ?

できなかったことをできるようになるより、
できなくなったことをできるようになる方が先決。

取り戻しに行かなくっちゃ。ね。

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