おっさんずラブ・無駄なピースのないドラマ
2023年12月26日。23:30。
歌舞伎町の映画館を出て、乗りたい路線の終電の一個前に乗るべく私は夜の年末新宿の街を走った。
長い感染症騒ぎなど忘れたように忘年会で盛り上がる人たちを横目に。
昔、自己満足で書いた小説の出だしを思い出しながら。
あれも新宿の夜景を思い浮かべながら書いたっけなと思いながら。
「空には沢山の星があって、その星と同じようにたくさんの人の中から貴方と私は出会った」
そう、私は奇跡のドラマに出会った。
おっさんずラブ。
2018年に放送された連ドラ。私はそれを知らずにいた。放送が終わった後、円盤に字幕をつけてほしい運動でその存在を知った。
ろうの仲間が面白いから!買って見て!とSNSで書いていた。
おっさんずラブ?おっさんの恋?
どんなドラマだ?と思いつつ、円盤を買う習慣のなかった私は皆んなの声が届いて字幕がついたのを知って、買おうかなと迷いつつ、その時は通りすぎた。
そして迎えた2020年の再放送。
私はついにこのドラマと出会って、春田に落ちた。
怒涛のように彼は私の中をかけめぐり、そのまま居ついた。
前に図書館戦争の映画で友人が好きだと言った俳優・田中圭はどんな人だろうと貪るように調べ、田中圭モバイルに入り、そして生まれて初めて推しという存在ができた。
同級生がいろんなアイドルにきゃあきゃあしてるのを横目にしていた私が。
職場で若い男性アイドルにハマる同僚たちを横目にしていだ私が。
実は私は羨ましかったんだと思う。
本気で好きになれる俳優やアーティストがいるということ。
私は淡白で心がないのかなあと思っていたくらい。
しかし、あの夏私はストンと田中圭にハマった。
それくらい彼が生きた春田は魅力的だった。
その2018年のドラマの続編が放送されるということで、ドラマ一気見上映があり、12月26日のこの日行ったのだった。
実は上映には字幕がなかった。
私はろう者だから迷っていた。字幕ないと細かいところわかんないなって。
でも2018年の時、一気見上映があって、盛り上がったときいて、リアルタイムで参加できなかった私はそれに行きたいと思った。
字幕がなくてもいい。
絶対私は話を覚えてるし、見てるだけで楽しめるから。
思った通りだった。
春田の、コツン、を含めて全ての表情筋を駆使したさまざまな表情に引き込まれ、多分同じような顔を私はしてたと思う。
うをををい!って何度思ったか。
覚えてるセリフは頭の中でアテレコし、
口の形を読み取った。
字幕がなくても1秒たりとも飽きることがなかった。
改めて見て、無駄なピースをがひとつもないドラマだなって思った。
そりゃ、予想外の展開はあった。
焦ったいところもあった。
でも出てくるひとひとりひとり皆大事なピースを担っていて感情移入する。
なんならドキュメンタリーだ。
私たちは追体験して、一緒に泣き笑う。
春田はドラマの登場人物じゃない。
この世界のどこかに生きてる。
猫背でがさつで脱ぎ散らかしで
料理すれば失敗するし、
洗濯もゴミ出しも全然できなくて
ソファで寝るし
廊下で寝るし、鈍感だし
モテないし、脳年齢手遅れだし
泣き顔ぐしゃぐしゃだし、プロポーズもかっこよくないし。
でも謎のいいカラダだし、
困ってる人は絶対ほっておけないし
むしろ手助けしすぎちゃうし
自分に向けられる想いも断れなくて受け止めてしまうし
そんな春田は周りの人や親の愛情を目一杯受けて、それを他の人に与えられるひと。
顔の全ての表情筋を生かせる男。
そしてチラッと雄味をだすひと。
中の人がチラッと透けるようなそんな春田。
でもあれは田中圭じゃなくて春田なんだ。
別個の生き物。この世界に生きてるひと。
だって、予定調和じゃない。
あらかじめ決めた筋書き通りに動いてないもん。 頭の中で次はこうして、ああして、と考えてない。
相手をよく見て、相手の出方で反応しているもん。それも脊髄反射で。
ノンフィクションなの。
だから目を離せないし、好きになっちゃうのだ。
部長も牧も春田を好きになっちゃうのだ。
映画館の大きなスクリーンの部長との結婚式場から泣きっぱなし。
あたし、このドラマに出会えてよかった。
君に会えてよかった。
泣きながら幸せだった。
年末バタバタしてて、
最後まで見たら疲れるし、なんか寒いし
寝不足どうしようとか途中思って帰るか迷ったのなんて、そんなの吹っ飛ぶ多幸感。
飛ぶように映画館の暗がりからでて、年末の夜の新宿をふわふわ走った。
なんなら飛んでた。
そして、この続編はどうなっちゃうんだろう。
わくわくゾクゾクする。
2024年1月5日。
また再びドアは開く。
私たちはまた部長と牧と春田の物語を目撃する。