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「造船所の見える風景」舞台夏の砂の上観劇記2

(以下舞台の内容に大きく触れます)

造船所だ。造船所のみえる。

会場を出て外の景色をみたとき、そう思った。
クレーンがあってまるで造船所のごと。
なあんて、なんちゃって長崎弁で呟く。
そしてさっきみた舞台のフレーズが蘇る。

ー右手はタービンのごと、左手はローラーのごと骨ば打ち砕く。おいはもう機械たい。造船所といっょんかわらん。バンバンバン。バンバンバン。バンバンバン。

2022年11日9日マチネ 14時開演。
今回は2回目。
(1回目の感想はこちら
https://note.com/lilielily/n/n9c0c5634e293)

私は耳が聞こえない。ゆえに字幕などのサポートが少ない観劇をほとんどしてこなかった。でも応援する田中圭という役者さんができてから同じ舞台を何回も観に行くという贅沢を知った。

今回、C列だったが、AB列はなく、生まれて初めて最前列で舞台を見た。
役者さんたちの表情、所作がはっきり見えて、
心が震えた。身体の奥が痺れた。
何かが共鳴していた。
最前列で見ることで「表情」という私にとっての「声」を見ることができた。スタンディングオベーションはできたものの、終わった後座り込んで動けなかった。そしてだんだん明るくなっていく会場で、天井を見上げるとそこには空があった。正確には天井画だけど。それを眺め、廊下のポスターを眺め、写真を撮り、ゆっくりゆっくりおそらく最後に会場を後にした。余韻にひたっていたかった。

そして会場のある階から外階段に出たとき見たのが、この風景だった。クレーンがあるのが造船所に見えた。

造船所にみえる風景

造船所だ。そう思った。
そう、舞台ではキャストさんの目線から造船所がみえていた。手話でも目線で「遠い」「長い」「高い」を表すけどまさにそんな感じ。

私は田中圭さんが好きだから、台詞がわからないながらも彼の表情をほぼ追っていた。
彼の白い肌、がっしりした腕に浮かび上がる血管。
上気して赤みのさした頬。
大きな手。
大きな足。
きれい。
あぐらからもスッと立ち上がる体幹の良さ。
その隅々を目で追った。

彼が生きている「小浦治」という男は表情の起伏に乏しい。
そして逆説的に表情が動いた時が印象に残る。

1回目に観た時に私は彼がうっすらと笑うときが印象に残った。
2回目。そこはどこなんだろうと意識してみた。

そしてわかったこと。
彼は持田さんのことを話す時、ひょんなことから預かった姪に話しかけるときうっすらを笑みを浮かべるのだ。
かつて笑いあって過ごしただろう妻に対してこの優しい笑みを浮かべることはなかったと思う。

持田さんは過去の象徴だろう。
姪に紹介した時、
歌に合の手を入れるとき
亡くなった後に持田さんの話をするとき彼は優しい笑みを浮かべていた。
本当におせわになったのだろうな、とわかるくらいの。
子どもが生きていて、造船所という仲間であふれた世界に生きていた頃の。望遠鏡をプレゼントするほど景気のいいときがあって可愛がっていた子どもがいた頃の。

姪がきたばかりのころ、
彼は戸惑っただろうけど、
男が来た時に「なんやこいつ」とばかりに声をかけ、責任はとれるんだろうねと父親張りにからみ心配する。
凍てついた彼の心が身内である姪にゆるんだように思う。
終盤二人は心をお互いに開き、まるで男女の仲のごとき。
どこかへ行こうとまで姪に言われている。
共依存なような、不思議な関係。それはやはり同じ血が流れていることがなせる業か。お互いを求め、失なわれた何かをお互い埋める存在。

立山の家からすぐ帰ってきた姪に優しく語り掛け
「よかたい。しょんなかたい」と声をかける。
この「よかたい」
文章で読んだとき、方言に慣れていない私は「良い」という意味の
「よかったね」みたいにとってしまい、なんか変だなと思った。
でも治の表情を見て「もういいよ」「しかたないよ」というような否定的なニュアンスで言っているのだろうということがわかって
ようやく腑に落ちた。

結構治の顔は雄弁でもある。
家に来た妻に話しかけるときのからんだ顔。
妹に姪を託されて困惑した時の顔。
酔っぱらった時の哀しくも楽し気な顔。
床に寝っ転がって紫煙をくゆらすときの顔。
洗面器に水をためるかとつぶやき心ここにあらずな顔。
訪ねてきた立山をしげしげ見つめるときの顔
立山を追い払う時の顔・・・

雄弁な時。

結構目が動く。左右動いて言葉を探している。

まだ妹が借金を返してないと分かった時の狼狽して焦った顔、
陣野に「情けなか」と言われて珍しく感情をたかぶらせる顔、
陣野の妻が訪ねてきて、
妻とバッティングした時(喪服を取りに来たと聞いて)
「あっちゃあ」という顔をする。瞬時の顔なのだが本当に雄弁。
そのあとの傷を心配したのに神野の妻に触らないでと拒否される
治の身のすくめ方はむしろ可愛くすら見える。
そして神野が妻と旅立つときの白目の多いにらんだ横顔。
明らかに意思を持っている。
冒頭でも妻や神野を問い詰め、明らかに彼はすべてを悟っている。
妻もつい「連絡することのあるとやろか私たちに。」と口を滑らす。
それに対比させたような「明雄はおらんやったとじゃなかや?」と表情なくいう顔の後の、
クライマックスの「おいしか」という生命あふれる顔。
乾きが潤った時、姪と心を通わせたとき、
すでに伯父と姪ではなくて
男と女に見え
観るものをドキドキさせ
彼に力がみなぎるように見えた。

しかし・・・
次の場面で彼は腕を負傷し、魂がどこかにいったかのようにみえる。
しかし、障害を負うほどのケガなのにそのことを妹に話すとき、うっすらと笑っているようにすら見える。他人事のようにしゃべる。
そして心を許し始めた姪が連れ去られるとき
「何かあったらいつでも帰ってきていい」という時の優しい、やさしい表情。
姪の残した帽子を抱きしめるときの静かな顔。
そして、光に一瞬眩む顔。まぶしくて。
暗転。

治は前半明らかに神野に嫉妬している。
妻に執着が残っている。
しかし、姪という心を許す存在ができ、
そして自分の元を妻が去ると悟った時
かれは復讐に出る。
しつこく妻の行先の行程について絡んだ後。
息子のことも妻のこともよく思い出せないといって傷つける。
これは彼なりの復讐なんだろう。
実際残酷であり、「私は一体なんやったとね」と妻はつぶやく。
最初私はこれは自分のことを忘れていいよという優しさなのかなと思ったが
実際は違う
別れても大丈夫とひどいこといって裏切っていく妻への復讐だ。
自分と暮らしたときを忘れてきてるという妻への・・・

家族の不在という乾きを
姪という存在で埋めたとき
彼は生き返ったけど
妻の喪失という事実にやはり心はゆらいだのか
おそらくぼーっとして指を失う。
でも逆にそれでふっきれたのか。
それゆえの達観した柔和にすら見えるあの顔だったのか。

他に気が付いたこと。
上手寄り、下手寄りではなくほぼ真ん中だったため、戸棚の小物はわからなかったけれど
何かが入っているのは見えた。
縁側?なのか外に石があるのが見える。

妹母子のシンクロ。1回目の時も思ったが、お時期の角度。
足で扇風機のスイッチを押す母娘。
似たくないのに母に似ている娘。

そして時間が止まった登場人物はモノローグがある。
冒頭で造船所が見える風景について語る治の妻。
ローラーが近づいてくる夢を見たと語る持田。
(ローラーはのちの治のケガの暗示か)
花村さんとことを語る優子。
「ピカーって光って・・・」と原爆のことを唯一語る優子。
トンネルの中で母の男の運転する車に乗って目を覚ました時のことを語る優子。
そして、「右手はまるで機械のごたるもんたい・・・」
仕事場の鳥の処理の様子を語る治。それは2回ある。

かれらは時間が止まっている。・・・あるいはやがて死ぬ暗示。
心が死んでしまっている。
新しい女との未来がある陣野にはこのモノローグはない。
彼は未来に生きている。

世田谷パブリックシアターの聴覚障害者向けのサービスとして送ってもらった台本を読んだとき、
私の脳裏には小柄で日焼けして硬そうな筋肉質の男が浮かんだ。
ちょっと甲高いというのか、もう少し力強い発声をするような。

田中圭が演じる小浦治をみたとき、
わたしは正直戸惑った。
彼の肌が白いのは知っている。

でも、あ・・・白い。と思い、
丁寧に弁当のビニール袋を畳む治に荒々しい肉体労働者という
アイコンを単純に当てはめるのは間違いだと気づく。
ゆっくりなテンポで話すのに
みんなのセリフをきっちり受けて、考えながら目を動かす。
ゆっくりに見えるのにテンポのいいような独特のテンポに舞台を空気を巻き込んでいく。
治だ。まぎれもない治がそこにいる。
あえてゆっくりな所作で大柄な体をいかし、
しなやかに動き、感情を動かし、生きている治が。
みんなの感情の動きをうけまくっている治が。
「え?」が多い会話が
かつて総理大臣の夫を生きたときの「え?」に似ているようで
また非なるような。

場面の転換がなく、ずっと同じ部屋の閉塞感。
会話から、雨が降らず渇水なのか、じわじわと乾いていく。
心も干上がっていく。
これは教えてもらったけれど、聞こえてくるセミの声がミンミンゼミからアブラゼミ、クマゼミ、
そしてツクツクホウシと夏の経過が過ぎていくとのこと。
暑い日が続く。
原爆の落とされた日は目標が見える日でなければいけないから
とても暑く、晴れた日だった。それとリンクすらして。
この部屋で1か月?2ヶ月?長崎弁に決して染まることなく優子は大人への階段を上りつつひと夏を過ごす。
緩やかに治も巻き込んで。
優子は生き生きとし治と対比になるような。
でも彼女もまた、立ち止まり、時を止めている。

雨が降り始めたとき、それぞれ動き出し、また時を止める・・・

小劇場でなされたという初演。
今回の箱では大きくて、治の細やかな雄弁な表情は見づらくなっているけれど。彼の持つ独特の空気でおそらく3階までも巻き込んでいく。
張り上げていない声が恐らく隅々まで届いている。

舞台は生き物だ。
どんどん変化し、成長していく。

また治をみたい。

前回と同じ思いで観劇記2を終えよう。

                    FIN

追伸:これを書いている間、2022年11月11日ソワレ後に原作者松田正隆さんと世田谷パブリックシアター芸術監督の白井晃さんとのポストトークがあった。
聞いた方のレポを読むと松田さんは田中圭さんのテンポ間のことを
松田さんは褒めてらしたとのことで、テンポのこと書いていた私は嬉しくなってしまった。
また、ラストのあのシーンのセリフ(いない・・のとこ)
嫌ですね、とおっしゃったとか。
復讐、というのもあながち間違いでもないかなと思ったり・・・。


クレーンを見て振り返ったこちらも美しかった

今回観劇の度に花を買っている

1回目


2回目

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