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文章を締めるのが苦手 というはなし。

noteを書きながらいつも思うのだが、私は文章を締めるのが苦手だ。

自分の思ったことを言語化すること自体は苦手ではない。ボキャ貧ではないし、どちらかと言えば得意なほうだと思う。祖母にいわせりゃ私は「口から先に生まれてきた」らしいのだ。

しかし、まとまった文章のケツを締めるのがどうも苦手だ。
「言い切っちゃっていいのかなあ…」みたいな気持ちになる。
結局なんか「僕たちの冒険はまだまだこれからだ!」的な感じとか、なんとなくきれいごとを言って終わる感じになりがちだ。

大学の卒業論文も、納得のいくように締められず、結論を書くのに膨大な時間を費やした。最後の最後に苦肉の策で、序論をこねくり回して結論とした。(そもそも基本形はそれで正解なのだがなんかしっくりこない)

要するに言い切りたいほどの「主張」があまりないのだろうと思う。

自分がこう思った ということを言語化するのはとてもたのしいのだが、結論となるとそれに「普遍性」を持たせなきゃいけない感じがする。とはいえ、「主張」は主張に過ぎず、要するに主観なのだから、普遍性なんて持たせる必要がないし、というかそこに「普遍性」などあるわけないのだ。「私はこうだ」と言い切る論拠さえあれば良い。主張とはそういうものだ。

わかってはいるのだが、やはり文章を締めるのがどうも苦手である。

というか論文でもないこの手の文章に、果たして本当に結論が必要なのだろうか?なくてもいいんじゃね?とも思うのだがそれはそれでしっくりこないのだ。


…今回は、「文章を締めるのが苦手」ということを結論として文章を締めようと思う。

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