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思い出の味_すし飯

「おなか満たす食事、心満たす食卓」という広告があった。
いい言葉である。食卓は決して飢えを満たすだけのものではない。
そこに並ぶ食事が食べた人の記憶に長く残り、いつかその人の運命すら変えるかもしれない。

亡き母はとても料理が上手な人だった。
手間を惜しまず、丁寧に下ごしらえをし、いつもおいしい料理を作ってくれた。父は食道楽で要求が厳しく、今思えば昔から結構おいしいものを頂いてきた。そんな母を見ていたからか、私も料理を作ることが苦にならない。

思い出す味はたくさんあるが、その中でもすし飯にはいろいろな思い出がある。

娘は幼い頃、母がすし飯を作るのを手伝うのが大好きだったそうである。なぜか。
おつまみができるからである。昆布と酒を入れて炊いたご飯を飯合の中にひっくり返し、あらかじめ混ぜておいたすし酢をふわーっと散らす。すし酢は常温だと塩や砂糖が溶けないことがあるので、20秒ほど電子レンジで温めて、十分に混ぜておく。手早く切るように混ぜる。そこで娘はうちわを2本持ち、あおぐ。あおぐ。あおぐ。
ちょっと冷めたところで「ばあば、味見していい?」と聞く。
初めはおしゃもじから手に載せてもらってちょっと食べる。「おいしい~もうちょっと」またひとさじ。この辺から娘はスプーンを取ってくる。「ちょっとだけ、ちょっとだけ~」といいつつ、本格的に「おつまみ」をする。私が仕事から帰ると母が、「この子おつまみばっかりしてずいぶん減っちゃったわ」という。

父はこのすし飯を使ったイワシの押し寿司が好きである。新鮮なイワシがあると「押し寿司食べたい」という。この料理は私も覚えたくて、母が作っている動画を撮っていた。今となっては財産である。
新鮮なイワシを3枚におろしてもらって、家で皮をむく。娘はこれが好きで好んで手伝ってくれる。(仲のいいお魚屋さんの場合、中骨だけもらってくる。いい出しがでてごぼうと米粉で団子を作り、団子汁にする)
塩で〆る。「塩をたっぷり。塩で菌を殺すのよ」と母。
ざるに載せ冷蔵庫へ。1時間経つと、下に敷いた皿に血の混じった汚れた水が落ちている。
水気をしっかり拭いて(洗わない!)昆布を敷いたお皿に載せ、お酢をかける。落としラップをして20分。お酢を拭いて新しい昆布の上に載せておく。
炊いてさましたすし飯を押し寿司用の木の枠に入れる。

母から譲り受けた木枠
一人分を作るときの木枠。富山の鱒ずし弁当の枠

まずラップを全体に敷き、おぼろ昆布、イワシ、針生姜を載せてすし飯をきっちり詰める。
漬物石でしっかり押しをする。約1日、涼しいところに置いておく。
切り分けるととても美味しい押し寿司になる。

母直伝イワシの押し寿司


お寿司といえば父方の祖母が作るちらし寿司は絶品だった。甘く煮たしいたけやかんぴょう、お揚げがしっとりとすし飯になじんでいた。母から聞いた話では祖母はすし飯を作るときに計量しないのだそうだ。炊いたご飯を飯合に入れてそこに手でざーっと砂糖を振る。混ぜて今度は酢をばーっと入れる。その後塩をさーっと振る。この辺で味をみてほとんど調整なしでできあがる。
それなのにおいしいのよ。と母はいつも不思議がっていた。

母方の祖母のお寿司にも思い出がある。
私が中学生だった頃、ひるどきに祖母の家を訪れた。祖母はお寿司が好きで、お彼岸にはよくちらしずしや太巻きを作って持ってきてくれていた。
私が訪ねたその日は、昼ごはんは一人で済ます予定だったらしい。
驚いたのは、一人のためだけにご飯を炊き、酢飯を作り、具材を用意し、太巻きを作ろうとしていたことだ。かんぴょうを1枚煮て、わかめ(乾燥ではなく塩わかめ)を1枚戻し、甘い卵焼きを1つ焼く。祖母には「面倒」という気持ちが浮かばないようだった。出来立てのすし飯を冷まして、のりを敷いたす巻きに載せ、一つずつ丁寧に作った具材を載せていく。ぐっと力を入れて巻いた太巻きはしっかりと具材を包み、少し置いた後に太めに切っていく。「あなたも食べる?」と言われ、食事を済ませていたが、一番おいしい端っこをもらって食べたことを覚えている。不思議なことに味は覚えていない。太巻きを作る祖母の手順がスムーズで、丁寧でそこに見とれてしまっていたのだ。その祖母ももういない。

私もよくすし飯を作る。
娘は今21歳。亡き母の代わりに私がすし飯を混ぜていると「お手伝いするよ」とすでにスプーン持参でやってくる。混ぜながら母の想い出を語る。
私の大好きな時間である。

これからの時期はミョウガと枝豆のお寿司なんかもいい。甘酢につけた新ショウガを混ぜると初夏のごちそうである。この料理は是枝監督の映画「あるいてもあるいても」で樹木希林さんが作っていたお寿司を再現してみた。初夏に美味しいお寿司である。


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