捨てる決断をする その2

さて、前回の記事で
「思いがけない出会い」
について書いたが、
この奇跡の出会いにあたり、
とても重要なマインドがあった。

それは、

「とりあえずがむしゃらに

前に進んでいく。」

ということである。


まずは目指すべき方向
しっかり定まっていないと、
悩んで考えたところで、

やはり前には進めない。

今まで
「現状を打破したい!」
とか言ってきた割に

進むべき方向が定まっていなかった。

ここでようやく「方向」の
登場である。

自分がなりたい理想の状態は
どのように決めるのか。

これはたった一つしかない。
「私がどうしたいか」
である。

お金が心配ならどうすれば心配なくなるか。
どんな生活なら満足できるのか。

おそらく就学を終え、

ほとんど多くの人が

就職すると
仕事をしている人が多いと思う。

結婚したらどう働くのか。

子どもが生まれたらどう働くのか。
介護をしなくてはいけなくなったらどう働くのか。


そんなことを考えて就職する人は

まず少ない。

その状況になって初めて

いろんな問題に直面し、

考え出す。

もし、過去の自分に言えるのなら

人生は長い。

そう。
もっと先をみて行動しよう。

今がいいだけではいけない。
「無難なものを選びなさい」
というとてもありきたりな答えを

伝えるかもしれない。

そう思っていた。

でもこれはやめたほうがいい。

だって、無難のものを選んだ先に

「心からの幸せはあるのか」

となる。

まだ見ぬ心配を先取りして
今ある幸せは見ないのである。

そんな心構えでいたら

「どうせ失敗するに決まっている。

そんな人生は綺麗事ではいかない」

などと言われるに違いない。

が、そんな誰にも分からない。


現状維持=退化

20歳そこそこで決めた幸せが、

「70歳や80歳になっても同じ基準!」

なんて考えて生きてる人は
いるんだろうか。

「きっと私の人生はこうだ!」

せいぜい想像のレベルである。

これがポイントだ。

私の場合は

大学を卒業したとき、

自分の地元で

自分のしたいことを続ける


そのために仕事を選んだ。


結婚したって、子どもが生まれたって

私の人生に合わせてくれればいい。


そんなふうにさえ考えていた。

よって、私の旦那のプロポーズは

・自分にはあなたを幸せにすることはできない
・そのスピードについていけない
・後ろから支えていく

である。

これには、大きな問題が1つ。
私が自分の幸せに向かって突き進んでいることが大前提である。


逆に言えば、

私が自分の幸せを見失い、

進むことをやめたとき

どうなるのか。


少なくとも子どもが産まれるまでは
そんな心配はなかった。


子どもが産まれた時、

私は自分の時間をなくした。


24時間

このか弱い存在に全集中を注いだ。


そこで私の承認欲求の強さが浮き彫りになった。

誰からも称賛されることのない、

この家の中で、


「私は誰からも認められない」

という存在になった。

旦那は帰ってきて仕事の愚痴を言う。


でも、

・あなたは会話できる人間と喋ってきたんだ

・誰かに仕事を任されたんだ

・ご飯を誰かと食べたんだ

そんなことを言うなら

「私はこの子をおいて仕事に行きたい」

ここである。

私の中の優先順位は、

自分が認められること

すると、方向を間違った私は、

子どもを自分の思いどおりに

育てることに全集中することになる。

この子をちゃんと育てたら

私は「すごい」といってもらえる。

一種の育児ノイローゼのように

「ちゃんと」という呪いにかかる。


幸いにも、

早熟の娘は何をするのも早かった。


検診に行っても、

・寝返り

・つかまり立ち

・一人歩き


娘ができて褒められるたびに
「私はこんな娘を育ててすごい人」

これである。
私は何もしていない。

でも私は、何か自分を認められことで保とうとし・・・。

結果、とても「恐い」母親になった。

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