そこに京都はあるのか問題
いきなりですが、「観光」というのが苦手です。
日本一の観光名所である京都だって、もう、いつ行っても道路の面積より人の方が多いですし、日本人より外国人が多いですし、京都に詳しい人より初めて来た人の方が多いですし、満喫してる人よりも「人多すぎ」と文句言っている人の方が多いです。
そんな不機嫌な観光客である人々が体験する『京都』とは、いったいなんなんだろう、と思います。それは本当に『京都』なのでしょうか?
そこに『京都』はあるのでしょうか?
「そうだ、京都行こう。」というキャッチコピーは、もしかすると日本で一番浸透したコピーの中のひとつかもしれませんが、あまりにも浸透しすぎた結果、我々が頭の中に描く「京都」は失われたようにさえ思えます。
……まあ、京都に限らず、どこの『観光地』でも言えますが。
観光客のために用意された施設たちと、それを目指す人、人、人。不機嫌なひとたち。そこに『観光地』はあるのか? と考え込んでしまいます。
とはいえ、それは京都に限らず、ほかのどの観光名所でも同じですが。
世間はGWに突入し浮き足立っていますが、ぼくは、ちょっと気持ちが沈みます。
だって、どこに行っても「観光客」になってしまうから。
いやおうなく、「不機嫌な人々」の一人になってしまいます。
そのつもりがなくても、外に出れば人でごったがえし、行きたい場所には並ばなければならず、静寂は望めません。
でも、どこかに行かないと、せっかくの連休をふいにしたような気分になるので、しかたなく、「GW 関東 日帰り」などで検索をしては、「でも人多いしなあ」で却下していく作業をしたり。
その作業にも飽きて、カフェラテを作って、屋上のテラスにキャンプ用の椅子を出して、macを開いて、この日記を書いています。
楽しくて、落ち着いていて、カフェラテがうまい。
この屋上が、自分が楽しい条件をすべて満たしているんですよね……。そりゃあ、出不精にもなります……。
そんな日曜日です。
はたして、どこかに遠出するのでしょうか……? 乞うご期待。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?