最終巻だと思って読んでたら最終巻じゃなかった現象に名前をつけたい
とある、ラブコメラノベの最終巻を読んでいたら、読み終わってから、これが最終巻じゃなかった(次巻が最終巻だった)ことに気づいた。
電車内で「うそだろ!」と、叫びそうになった……。
まだ続くのか、というのは、もちろん読者としてはうれしい。
でも、終わったと思った物語が続く、というのは、なんだか折り合いがつかない。
なんとも言えない気持ちになってしまう。
なんというか、読みながら、「ああ、もうこれで終わっちゃうんだなあ……」なんて、感慨に耽りながら、ほとんど「蛍の光」がBGMに流れているような寂寥感を覚えながら読んでいただけに。
ええ、ぼくの勝手な勘違いですよ。
でも、なんだか「もうすぐ終わる物語」として読むと、違って見えちゃうじゃないですか。同じ物語でも。
たとえば、ギャグ漫画の作者がなにか犯罪を犯しちゃったら、今まで笑ってたその漫画も、途端に笑えなくなったり。
いいなーと思ってた作家が、ゴリゴリの政治ツイートとかしてたら、やっぱり作品の見え方も変わっちゃう。
作家と作品は別ものだけど、それは、作品の優劣によって作家の貴賎は変わらないという意味であって、やっぱり作家の行動によって作品の見え方が変わるというのはあるのかなと思います。
少なくとも、「作家と作品は別物」という文言は、作品への非難から作家を守るという意味で存在していて、決して「作家と作品は別物(だから作家が何を言ってもいい)」ということではないと思います。
話がそれましたね。
とにかく、ぼくが言いたいのは、作品は絶対固有のものではなく、外的な要因(こんかいで言うと、最終巻だという勘違い……)によって、読まれ方が変わっちゃうんだなっていうことですっ。
さいきん読んだ『読んでいない本について堂々と語る方法』という本にも、そんなことが書いてありましたし。
続くのは嬉しい。でも、終わったと思ってたよー>< という感じで。
そういえば、全然関係ないですけど、漫画『ONE PIECE』のドレスローザ編で、最後はドレスローザが平和になったという終わり方でしたけど、あれって、けっこうとてつもない爪痕残っちゃってますよね。
シュガーの能力で存在を消された男が、存在を取り戻して、以前結婚していた女性に会いに行くも、彼女にはすでに別の家庭があった……みたいな描写あったじゃないですか。
あれってすっごいさらっと描かれてますけど、どえらい悲劇ですよね。あの方たち、これからどうやって生きていくんでしょうか。これからの人生、笑っていけるのでしょうか。とても気になります。
……と、また脱線。
と に か く !
最終巻だと思ったら、最終巻じゃなかったこの気持ち。
終わったと思ったら続くという嬉しさと、すでに、無駄撃ちになってしまった寂寥感の行く宛のなさ……などの、ないまぜになったこの気持ちに、なにか名前をつけたいのです。
うーん。
一打勝ち越しのバッター、空振り三振するも、キャッチャーパスボールにて振り逃げ成立、勝ち越しに成功! と思いきやホームベース踏み忘れでアウト! 勝ち越し失敗!
みたいな?
なんか違うかーーーむつかしい。
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