コンセンサスって言ってみたかったんだよね。

今日みたいな寒い日は、もう、ぜんぶなしで、ただ家でじっとしていましょうという日にしたいですよね……。

や、理想論なんですけど。

だって、さむいの、いやでしょう?

昼前まで寝て、ダラダラしながらパックのカレーライスを食べて、シャワー浴びて、コーヒーいれて、友達とSkypeしながらビールを飲んで、アニメの話とかをして、夜は鍋をして、うどんでシメて、最後にまたSkypeで今後やりたいことの話をして眠る。お供は芋焼酎の水割りとエイヒレで。

気持ちよくなったら布団に潜り込んで、明日のことを考えながら眠る。

そんな一日が、ぼくの思う「究極の幸せ」のひとつです。

ぼくは、みんなそれぞれ持っている「究極の幸せ」をかなえられたらいいなと、願っています。


かつて、サッカーの本田圭佑選手が、目標はW杯優勝、と言ったときに、「言い過ぎ」とか「身の程を知れ」というような反発があったと思いますが、ぼくはそれに対して、「えっ、優勝目指すなんてあたりまえじゃん」と思いました。だから、反発があったことが驚きでした。

W杯って、「優勝を目指す国が戦うために集まる大会」なのに、優勝したいと発言すると否定されるのはおかしいな、と。

「目指す」ことそのものにケチをつけるのは、違うんじゃないかと。

ぼくは、これは、『コンセンサスの問題』だと思っています。

みんな別の人間です。さまざまな意見があって、多少の摩擦があるのは仕方ない。

でも、そんな中でも、コンセンサス、つまり、「ここだけは共有しよう」という部分を確保するべきだと思うんです。

本田選手の例で言えば、「サッカー選手である以上、W杯の優勝を夢見るのは当たり前」というコンセンサスさえとれていれば、「おこがましい」などという意見は出てこないはずです。


別の例で言えば、少し前に、女優の綾瀬はるかさんが「夢は世界平和」と発言したことに賛否あったということもありました。

これもコンセンサスの話で、「いろいろ言い分はあるだろうけど、『世界平和』を願う気持ちは一緒だよね」という意識が共有されていないことがぼくには驚きでした。

もちろん、こういったことは、どんなに「合意」を取ったところで、様々な摩擦によってすぐに立ち消えになってしまうのが現実なのでしょうけど。



みんなが幸せなのが一番。

理想的には、それが、誰であれ。

でも、現実はそうはいかないから、そういった、ままならない部分については意見しあっていきましょう。という世界がいいなーと思います。

それぞれ「幸せ」のかたちは違うけど、せめて「みんな幸せにな〜れ!」という部分だけは共通していたらいいなと。

でも、こんな意見は所詮平和ボケというか、自分の精神状態が平和だから言えることだというのもわかります。

(じっさいには、最近はちょっと考えることが多くて、ぼくの精神状態はけっこうささくれだっているのですけれどね)

いま、世界には、多くの人々の恨みを買っていたり、消えた方が世界のためだと思われている人たちがいます。

彼らはぼくたちの「幸せ」を脅かしていますから、そんな相手の「幸せ」を願っている場合じゃありません。

あとは、じゃあたとえば、親が殺されたとして、その殺人犯の「幸せ」も考えるのか?

自分の信頼を裏切った相手を憎むなということか? など。

……正直に言えば、そのあたりの折り合いはついていません。

少なくとも、彼らは幸せであるべき「だった」ことは確かですが、憎しみを抱いたあとでは、そう思い続けることは難しいでしょうね。

以前のポストで言ったように、すべての問題について「それはすでに考えていて、結論がでている」と答える必要はないと思います。

「それについては今も考えていて、いまだ答えは出ていない」という問題も、あっていいはずです。

よくある『トロッコ問題』なんかも、当然、正解というものはないですよね。「この立場からはこちらが正解」とか、「この見地から言えばこれ以外ありえない」ということはありますけど。

ぼく的には、ここで取るべきコンセンサスは「誰も死ぬべきではない」です。

すごく、あたり前のことだし、こんなことでは話が進まないですけれど。

でも、一旦、そう確認しあいませんか? とは思うんです。

すごく大事なことだと、思います。


どんな問題でも、意見を戦わせる部分と、コンセンサスが取れる部分があるはずです。

みんなが同じ方向を向くということは無理なんでしょう。

でも、「まずはコンセンサスを取ろう」というコンセンサスを取れれば、よりよい環境になっていくんじゃないかなと思ったのでした。


ということで、ぜひ、みなさん、冬は冬眠するというコンセンサスをとりませんか?(言いたいだけ)

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