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背筋はピン。お腹引っ込めて。椅子の背もたれにもたれない。ご丁寧に調教され、心地よい姿勢さえ知らずにガチガチに固めて生きてきたことに気づき、寝ている時、布団に身を委ねず、背骨を固めてる自分に気付いて衝撃を受けた。布団に委ねたら堕ちてゆくんじゃないかという恐れ。そりゃ過緊張になる。
忘れられない痛みや哀しみは、忘れないように、絶対に忘れないように…記憶の働きを利用して、未来の私が私に贈ったもの。「何が何でも欲しかったものが在るんだよ」それぞれの魂が忘れたくないものを、忘れさせようとする物、誤魔化す代替物に世界は溢れてる。この命が終わる直前に気づくって刹那い。
怒ってもいい、泣いてもいい、笑ってもいい、震えてもいい、恐れてもいい、そのまんまでいい。
ここに本当の安心がある。
いつでもどこにも安心はある。貴方が許せば。
安心を求め彷徨い、教えを乞い続け、どれだけの時間アイテム探しに費やしToolに投資するの?
本当にしたかったことは何?
非二元論の前提には二元論あり。
二元が無ければ、非二元は存在しない。非二元と二元はセット。
非二元も二元も同じ。森羅万象、全ては移り変わる。目指したり、悟ろうとしたり、分かろうとすれば淀む。止まる。ノンデュアリティの教えは足枷となり人々を留めている。体験は体験のままに。。。
目指せば、そこに留まることになる。目指す者であり続ける。既に在るのに。
太陽を目指せば太陽にはなれない。
太陽を動かしているもの。太陽を太陽たらしめているもの。
それは何?
そこに在る。
全て止めてみればいい
全て諦めてみればいい
埃1つでも、何かを掴んでいたら、それがそれとして存在しない違う次元、未知の世界には行けない(本当は、どこにも行く必要はない)何一つ掴まなければ「己はいない」のその先に辿り着く。勝手に立ち上がってくる。勝手に浮かび上がってくる。刻印が。
悟った風、突き抜けた風ふかせてるけど。非二元やノンデュアリティという概念にどっぷりはまってるだけ。ドヤ顔で非二元を唱え、二元論の周波数出してる。非二元と二元という二元を強化してる。平行移動、鞍替えしただけ。前と同じ次元に居るよ。一瞥体験って名前を付ける自体可笑しい。そもそも逆だよ
無駄な努力してる間に人生終わる
許そうと頑張る人は許せない人。ずっと許せない。
癒やそうと頑張る人は癒やされない人。ずっと癒やされない。
幸せになろうと頑張る人々は幸せじゃない人。ずっと幸せになれない。
変えようと頑張る人は変わらない人。ずっと変わらない。
許していないと自覚出来る人は許している人。
癒やされていないと自覚出来る人は癒やされている人。
幸せじゃないと自覚出来る人は幸せな人。
変わってないと自覚出来る
「怖い」って言われないように、本音に蓋をして、綺麗な言葉選んで、優しい人演じて、コミュニケーションしてたら、自分を失っていた。「怖い」って言われなくなって「優しい人」になっても、誰とも循環するような交流なんて出来てなかったし、その場凌ぎ、ただの仲良しごっこだった。
そんな情報どんなに集めても
そのうち、全部忘れるよ。
あなたが体感したこと、経験したこと、あなたの言葉で話した、あなたが真に思考し気付いたこと…しか、
覚えていない。
情報が幸せにしてくれることはない。情報を鵜呑みにせず、思考を止めず、自分オリジナルのものに創り直そう。
誰かの言葉の受け売り
誰かの言動の猿真似
言葉と、思いと、行動
不一致
自己不在
辛くて見ていられない
極極少数の
体、心、魂一致している方の輝きに
安堵する
この世界では
あらゆるものがそれぞれの周波数を発している。
同時に絶対的静寂の世界も存在し
その静寂の世界には
全ての周波数が存在している。
∞
起こった意味とか、メッセージ、原因…思い巡らせている間に、目の前の素敵なことが通り過ぎてゆくよ。より良く目指している間に大切な想いが見えなくなるよ。生きていれば勝手に点と点は繋がってゆくよ。 勝手にね。私達=過去⇄現在⇄未来
フラワーエッセンスで感情のコントロール。ドヤ顔で、なんだか、良さげな風吹かせて、お洒落な自分に酔っておられる。
起こったこと、それによって表れた感情、体験すること、自然なプロセスを否定しているってこと。
自己否定から生まれるものは…?
癒やしではなく
【自己否定】