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【光る君へ】第19回「放たれた矢」


はじめにお礼です

SNSを見ていたら、「光る君へ」第17回・第18回についての本noteレビュー記事を紹介している方がいらっしゃった。過分にも、好意的なご感想をいただけていた。

no nameさん、この場を借りてお礼申し上げます。お目に留めてくださりありがとうございました。

平安時代や文学作品についてのわが知識は、はるか遠い昔の受験生時代のままで止まっています。今回大河ドラマで平安時代中期を取り上げると聞いて『枕草子』および関連作品に目を通してみたら存外面白くて深掘りしはじめたことが契機となりました。全くの”にわか”です。

読書を通じて感じ取ったことに基づきドラマを見て、その感想をあくまで素人目線で書き連ねています。『枕草子』以外の作品については、『源氏物語』も含めてほとんど存じておりません。近年のマンガや小説類にも明るくありません。

それゆえ勉強不足や勘違い、誤解や思い込みなどにより的外れな話を綴ってしまうことが多々あるかと存じます。お手柔らかに見守ってくださいましたら、望外の喜びに存じます。

道長の”胡蝶の夢”

動画サイトの「かしまし歴史チャンネル」で、第18回の解説を見た。最後の場面で、まひろと道長が六条の廃屋ですれ違う。私はそれを見て「お礼くらい言いなさいよ」と、noteで毒づいた。同じツッコミをする人はSNSで多数見られた。

しかし、このチャンネルでは「ここでお礼を言っては台無し。無言ですれ違うからこそ意味がある!」と力説されている。

そうなのか…
それをふまえてもう一度録画を見直したら、この場面全体が「道長の見た夢」であるように思える。すなわち、画面に現れるまひろと廃屋は、道長の脳内に登場する”幻”である。

右大臣に任ぜられ、公卿のトップに立った道長が、仕事を終えて屋敷に戻ると、月明かりに気づいてまひろのことを思い出す。そのまま眠りに落ち、まひろの夢を見た。そう考えたら無言ですれちがうことの説明がつくし、「六条の廃屋を何年も保全していたのはなぜ?」と首をひねる必要もなくなるだろう。

道隆一家(中関白家)の描写があまりにもひどすぎて、頭に血がのぼっていたゆえ、この場面は最初しらけ心全開で見ていた。それゆえに目が曇ってしまったのだろう。

「かしまし歴史チャンネル」では”胡蝶の夢”との関連も指摘していた。そこでは「まひろにとっての胡蝶の夢」としていたが、私は逆に「道長にとっての胡蝶の夢」だと思う。

倫子さん明子さん穆子ママ、今こそツッコミどころ!と、はやし立てたくなるが、「道長にとってまひろは、もはや夢とも現実とも区別がつかない存在。ゆえに、まひろの望む世を作ろうとするあまり、自らの独裁政権で夢と現実の見境をなくした暴走を始める伏線」と、もう一段深く構えてみたい。

道長が見た夢ならばまひろを抱くのでは?と思われるかもしれないが、もはやまひろは夢でさえも抱けなくなった。ソウルメイトとはいえ、二人の想いは既に本質的なところでずれてしまっている…と見るのは、意地悪にすぎるだろうか。

第19回では為時が従五位下に叙爵される際、道長に看病のお礼を述べていた。こちらが(物語上の)リアルということなのだろう。

夢といえば…

第19回では、肥前に行ったさわから「婿を取った」旨の文が届く場面が描かれた。いとは「ほーら、また出遅れた」と、ため息をついていたが。

このドラマでは、百人一首に選ばれている和歌

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな

を、後年まひろが見たさわの夢ということにして、「さわは京に戻ることなく、肥前で亡くなった」と、”ナレ死”に持っていく展開にするつもりだろうか。

一度は会わせておこうか

今回の”見せ場”は、まひろがききょうの口添えを得て、登華殿にあがる場面。とてもとてもありえないご都合主義展開だが(苦笑)、『源氏物語』に登場するキャラクターのうち幾人かは中宮定子をモデルとしているという説もあるため、ここで一度は会わせておこうかという、制作スタッフのアイデアゆえだろうか。

と、つらつら考えながら「ステラnet」を見たら、定子さまからの御下命でもあったそうな。

まひろの装束は鮮やかな山吹色。宣孝好みの色で、彼が用立ててくれたと想像がつく。廊下に鋲がまかれていて、まひろは踏んづけてしまうが、ききょうはあえて他の女房たちに聞こえるように、このような嫌がらせは内裏で日常茶飯事と説明する。

後でまひろが彰子づき女房として宮中へ上がる際、最初は女房たちにほとんど無視されて心を病みかけること、さらに彰子サロンはまひろの努力でくだらないいじめがなくなり、定子サロンよりも優れる場になったと、将来的にアピールすることも視野に入れているだろうか。(褒めていない)

中宮に拝謁したところお上のお渡りがあり、中宮は一旦中座する。嬉しそうに微笑み、手に手を取る二人だが、もはや子づくりは”ご公務”のひとつになっていると描写したいのだろう。この時期の”お励み”が脩子内親王(996年12月16日生まれ)のご誕生につながるか。伊周・隆家兄弟の花山院奉射事件は同年1月16日、中宮の職御曹司(しきのみぞうし)転居は2月25日で、この直後に帝が密かにお渡りになり、懐妊したものと考えられている。

戻ってきた帝と中宮を前にして、まひろは宋の科挙の話をする。白居易『新楽府』を読んで初めて知ったみたいに描いているが、科挙は隋の時代から長く行われているし、子役まひろが父の漢籍を読んでいる段階で「父上、かきょって何?」と聞くぐらいでもおかしくないのに。

当時の科挙は男性限定で、そこを突っ込む意見もあったが、まひろとしては自分よりもまず父や弟の登用を考えていた、としたいのだろう。

そもそも、将来の紫式部はこれほど向こう見ずに行動的な人だろうか。百歩譲って、若い頃東三条殿で兼家に直訴したあたりまでは大目に見られても、その段階で倫子に「摂政さまは、まひろさんの身分で会えるお方ではありません」と釘を刺されていたし、けんもほろろの門前払いだったのだから、そこで学んでおかないと。それとも、ききょうに冗談半分で言ったら真に受けられてしまった、としたいのだろうか?

身内びいきのダブルスタンダード

道隆が関白になった時に「昵懇の公卿を66人も昇進させるという身内びいきの人事を行った」と、棘のあるナレーション説明がなされていたが、今回の放送で道長は源明子の兄・俊賢を参議に取り立てて、参議を望む藤原斉信を昇進から漏らした。道長にもっともらしい理由を言わせていたが、それは身内びいきにはあたらないのだろうか。ひとりだからよいという話なのか?

この物語では、為時だって道長からすれば「愛する女の父」で、準身内というか”エア身内”的な感覚になるはず。それゆえに従五位下に取り立てられたと受け止められても仕方がないだろう。為時は一条帝に漢詩を奏上して、”下国”淡路守から”大国”越前守に変えてもらったと伝わっているが…。

前回、帝に「母は、自分のことなどどうでもよいのです!」と涙ながらに訴えた詮子も、自分の知り合いを昇進させるよう道長に持ち掛け、断られると「お上に直接かけあう」と身勝手全開な態度を見せる。女院が影で権勢を振るう、悪政の端緒となる話であるが、それは問題にしないのか。いろいろと破綻している。

絶望の次回予告

伊周と隆家の描き方については、もうここに書くことさえ疲れた…が、次回予告は絶望的なものであった。

定子さまが宮中で短剣を手にして暴れている??
テレビドラマ史上初めての大役を演じてくれている素敵な俳優さんに、何と失礼な演技をさせるのだろう!大石先生と制作統括の人の本性というか実態がわかった。『源氏物語』以外は下衆の作品としか思えないのだろう。それでいて『源氏物語』の深い文学性を比較に出すのもおこがましいほど、底の浅いストーリーしか書けていない。

さらに言わせていただくと、本作は紫式部というか『源氏物語』を隠れ蓑にした藤原道長独裁政権礼賛物語という面も露わになりつつある。中関白家や定子は、その生贄にされているのだろう。

今回はかなふみなし!

※タイトル画像はYUKARIさんのイラストを使わせていただきました。




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