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「暮しの手帖」を読む~戦争を語り継ぐ心理


「いつものほうがいい」

1968年夏。
仕事を終えて帰宅した父が勤務先の購買部から持ち帰った「暮しの手帖」を、母に渡した。

当時36歳だった母は雑誌を一瞥して

「おもしろくない。いつものほうがいい。」

と言い、嫌そうに顔をしかめた。

☆☆☆

「暮しの手帖」第96号(第1世紀)は、一冊丸ごと「戦争中の暮しの記録」だった。料理レシピも商品テストも、ルポルタージュも随筆も、暮らしのヒントも連載記事も投稿欄も、全てが「1回休み」とされた。

今思い返せば、この時の私はまだ小学校に入学していなかった。それでもこの「いつものほうがいい」の声と、憮然とした顔は鮮明に記憶している。

母は、メディアの特別イベントを疎ましがる人だった。少し後の話になるが、三波伸介さん司会時代の「笑点」は私と一緒に楽しく見ていても、お正月特番で賑やかしが入る回になると「いつものほうがおもしろいのに。」と言い、嫌そうな顔をしていた。80歳近くで認知症が顕在化するまで、ずっとその調子だった。

小学校3年生くらいの時、私は他の号と同じように第96号の「戦争中の暮しの記録」を見たが、地味で暗い写真と細かい文字の難しい文章だけが並び、子供心をひきつけるものが何もないと感じた。玄米を一升瓶に入れて棒を挿し、簡易精米をしていたという話のみ、辛うじて記憶している。身近にあった物だからだろう。他の号は繰り返し見ても、第96号を再び手に取ることはなかった。手垢や落書きの攻撃を受けなかった本は、相対的にきれいになった。

やがて「戦争中の暮しの記録」は、他の号とあわせてわが家から姿を消した。後年、自費により第37号から第100号まで「古書の大人買い」をした際も、第96号だけは外した。その頃になると、庶民の側から戦争を語る取り組みも増えていたし、なにもわざわざお金を払って暗い気持ちを思い出す気にもなれないし、何より毎日仕事に行って、嫌な人間関係に触れなければならないし…が、正直なところだった。従って、今も手元にはない。

発行されるまで

今回noteで「暮しの手帖」について取り上げるに際し、改めて手元のバックナンバーを読み返してみた。

企画は1967年春ごろに立てられたらしい。5月発行の第89号に「戦争中の暮しの記録を募ります」という募集案内が掲載された。

おそらく花森安治編集長が直々に書いたとみられる

おなじ戦争中の記録にしても、特別な人、あるいは大きな事件などについては、くわしく正確なものが残されることでしょう。しかし、名もない一般の庶民が、あの戦争のあいだ、どんなふうに生きてきたか、その具体的な事実は、一見平凡なだけに、このままでは、おそらく散り散りに消えてしまって、何も残らないことになってしまいそうです。
暮しの手帖が、敢えてここにひろく戦争中の暮しの記録を募るのは、それを惜しむからに外なりません。

「暮しの手帖 第89号」(1967年)より

の趣旨説明と執筆条件に続き、入選100篇、締め切り1967年8月15日、1968年初の暮しの手帖誌上で発表予定と記されている。次の第90号にも同じ募集案内が掲載されている。

この募集に対して、編集部の想定以上に多くの投稿が寄せられた。募集開始から1年後、1968年4月に発行された第94号誌上で、1,736篇の応募があり、うち126篇を入選とすると発表された。「7月頃一冊にまとめて発表する予定」と付記されている。

その一冊は、レギュラーの第96号として発行された。表紙は焼かれた跡のある、こげ茶の古い手帖に真紅の薔薇の花が一輪添えられている写真。「青い山脈」の

雨に濡れてる焼け跡の 名もない花もふりあおぐ

を想起させる。

2度にわたる”感想文特集”

「戦争中の暮しの記録」は、母の暗い顔をよそに、世間では大反響を呼んだらしい。編集部には発行翌日から感想が殺到したという。

それを受けて第97号(1968年10月)と第99号(1969年2月)で、「戦争中の暮しの記録」に関する読者感想文を紹介するコーナーが設けられた。第97号には1937年生まれ以降、すなわち当時31歳以下(終戦時8歳以下及び戦後生まれ)の「若い人たち」の感想、第99号にはその感想を読んだ1936年以前生まれ(当時32歳以上、終戦時9歳以上)の「大人たち」の意見が掲載されている。いずれもしめくくりに、編集部で投稿内容と世代別の傾向について分析・考察した記事が添えられている。久しぶりに「暮しの手帖」を思い出す機会が得られたので、この際だからと、掲載されている感想文に目を通した。

トラウマ格差

第97号掲載の”若者側”の感想文趣旨はおおむね以下に大別される。

・当時の一般の人たちの暮らしぶりがこれほど悲惨だとは、初めて知った。改めて、親世代が歩んできた道を見直した。親との関係についても、改めて考えていきたい。

・(当時盛んだった)理論優先で、しばしば狭い世界の中で対立している反戦平和活動・原水爆禁止運動のあり方に疑問を持った。

・そして、素朴な疑問。
なぜ、戦争に反対しなかったのか、反対できなかったのか。
手がつけられない状態に追い込まれるまで、なぜ黙っていたのか。

これらの感想は、私の世代やもっと若い世代の人も、おそらく率直に抱くものだろう。

私は、一番最後に掲載された投稿に目が止まった。1937年生まれの方が書いている。

「戦争中の暮しの記録」には、”自分だけ白米の飯を食べていて平気な夫に立腹して別れた”という手記が掲載されていたらしい。それを読んだ投稿者は、戦後の食糧難の頃、母親が深夜にふかしいもをこっそり食べている姿を偶然見つけた経験を持っている。その時は声をかけられなかったが、母に対する強い不信感が募り、それは母が老いた今でも続いている、という。

第99号掲載の”大人側”はどうか。

「うばわれた青春を返せ」と叫ぶ人、「志低かろうともマイホーム主義を守る。だから子供には戦争の実態を伝えたい」という人、「やはりだまされていたのではないか」という人がいる一方で、「私は女学校で、学校として勤労奉仕に志願するよう、校長先生にお願いした。その青春に、生き方に悔いはない。それでも、だまされていた愚か者というのだろうか。」と胸を張る人がいる。

”軍国少年”時代に書いていた日記を淡々と紹介する人、時代の趨勢に漂うように主義主張をコロコロ変えていった父親の様子を綴る人もいる。

さらに、「なぜ戦争に反対できない仕組みになっていたのか、戦争は人間の中の何が引き起こすのか」について言及する人、「自由を否定する者の自由が跋扈した時、ワイマール共和国の二の舞にならぬだろうか。」と、鋭くえぐるような見方を投げてくる人もいる。

私は一番初めに掲載されていた、終戦当時国鉄の機関助士として働いていた人が書いた投稿に着目した。この方は玉音放送の時間も、名古屋から浜松まで乗務していたという。「終戦の日にも、汽車は動いていた」は本当のことである。

この方によると、終戦後先輩たちが復員してきて、戦場の話を聞かされたこともあったが、悲惨さや無益さを訴える声はほとんどなく、残虐行為を得意気に語る人さえいて、「この人たちは戦争からいったい何を学んできたのだろうか」と、やりきれない思いをした、という。

全編に目を通して、私は”トラウマ格差”に思い至った。この言葉は咄嗟に思いついたもので、あまり適切な表現ではないかもしれない。

いつの時代にも押しが強く、良くも悪しくもあまりへこまない人がいる。その一方、繊細で内気で、すぐに心が傷つく人がいる。

現代のネットでは後者を「硝子メンタル」「豆腐メンタル」などと言っているらしい。同じ出来事に遭遇しても、受けるトラウマと、QOLに対する影響は渚と海溝ほどの差がある。

後者に属する私は、改めてため息をついた。
乱暴な言い方になるのは承知の上だが、戦争の原動力は「全体主義に基づく集団行動の強制」で、メンタルの強い人がメンタルが繊細な人を脅しつけて、無理矢理巻き込ませる形で進めていく。メンタルが強い人は、メンタルが強くない人が抱えるトラウマになかなか気がつかない。訴えられても「なんだそんなことで」「もっと大変な人だっている」「みんな辛抱している」などと、簡単に退ける。そこに問題の本質のひとつがあると思う。

心理学的アプローチのすすめ

この図式は国家単位で起こす戦争に限らない。企業でも、学校でも、家庭や近所づきあいでも発生する。趣味のグループでも、女子会でも、”推し活”でも発生する。平和運動に取り組む組織も、戦争を語り継ぐ組織も例外ではない。当時の「暮しの手帖」編集部もまた、例外ではない。

前述した通り、「戦争中の暮しの記録」は通常号に組み込む形で発行された。本来なら増刊にするところだが、当時80万部の発行数を抱えて、商品テストや取材など多忙を極めていた編集部に増刊を出す余力はなかった、といったところだろう。

だが、ひとつ前の第95号に「次号は一冊すべて”戦争中の暮しの記録”にします。通常の記事は全てお休みしますのでご了承ください。」といった告知が全くなされていない。

そのまま第96号を定期購読者や常連さんに呈示する方法は、読者側からすればかなりの”荒業”に映る。母のように、ひと目見ただけで強い抵抗を感じる読者が現れるリスクは決して低く見積もれない。現に第97号の「編集者の手帖」欄にも、「あんな、みじめで、つらいことは二度と思い出したくない。だから、あの号は読まない」という反響があったと記されている。

近年、「修学旅行先で、戦争の語り部の老人に物を投げたり、いかにも退屈そうな態度を取ったりする生徒がいる」というニュースが時折報道される。私はやや冷ややかに、さもありなんと思う。

無礼な態度を取る側を擁護するつもりは毛頭ないが、語り継ぐ側の人たちにとって戦争体験談が気づかぬうちに「聖典」になってしまい、「聞いて当たり前、伝わって当たり前、自分たちの日頃の行いを反省してもらって当たり前」という”驕り”が巣食っているのではないか。聞かされるほうはそこを見透かす。成績に直結するレポートなどが課されていたら、なおのことだろう。

今の若い人、及び少し前の若い世代は生まれた時からアニメやゲームで育っている。プレゼンテーションの巧拙に対するジャッジメントは、上世代の想像以上にシビアである。語り部をやる人たちは、それをどこまで理解しているだろうか。

前回「暮しの手帖」について取り上げたnote記事で最後に言及したが、「戦争中の暮しの記録」を出したころは、暮しの手帖社に限らず、世間にトラウマ・PTSD・グリーフケアなどの心理学的概念があまり普及していなかった。平和な世の中だからこそ顕在化する偏見も、当然のこととされていた。暮しの手帖社が前の号で何ら告知しないまま、いきなり「今度の号は”戦争中の暮しの記録”ですよ」とした時の心理的サポートについては、ほぼ無頓着だった。私が大人になってもあの号を再び手元に置く気になれなかったのは、そこに違和感を抱いたがゆえでもある。

「戦争中の暮しの記録」は後年、暮しの手帖社で単行本化されている。上で引用した第97号・第99号掲載の感想文も収録しているという。多分現在でも新刊で購入できるだろう。

アニメ映画「この世界の片隅に」(テレビ放送された時に見たが、主題歌の「悲しくてやりきれない」からして泣きたくなるほどよい作品だった)など、この本の影響を受けていると思しき作品は多い。連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」や「ブギウギ」の戦時描写にも、そのDNAは受け継がれている。

だからこそ、訴えたい。
戦争を語り継ごうとする際に、心理学的アプローチを加味してみてはいかがだろうか。

・まず、「聞いてもらえてありがたい」という謙虚な姿勢を示す。

・遠くの国家戦争よりも、近くの生活トラブルや周囲の偏見により、空襲や食糧難にも匹敵する苦労やトラウマを受けていて、そのほうが喫緊の課題という人が少なからずいるという現実を真摯に受け止める。

「戦争中の暮しの記録」を見て「おもしろくない」と吐き捨てた頃の母は、重度障害を抱えて常に泣き騒ぐ”下の子”に向き合うという「個人の戦時下」状態にいた。私は、デリカシーのない同級生たちと毎日学校で一緒にされ、体育や工作などで不器用ぶりをからかわれ、家に帰れば父にすぐ怒鳴られるという「個人の戦時下」状態にいた。

そんな状況にいる人たちが、国家戦争の話ならば当然素直に耳を傾けてくれるはずと、どうして思うのだろうか。そこから考えてほしい。

・同じ出来事に遭遇しても、受けるトラウマの深さは人によって違うこと、人の心を傷つけたほうは軽く流せて忘れられても、傷を受けたほうは長く心に残ることを意識する。

・「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という真理に基づき、「新しい戦前」にしないためには普段からどう心がけていけばよいか、悪い方向に行きそうな芽ばえを感じた際、個人としてどう行動すればよいかに力点を置いて話す。

・戦争に反対の意向を示すだけで摘発され拷問される、近所から白眼視されて陰湿な制裁を受ける、国際連盟脱退や真珠湾攻撃の報道に快哉を叫ぶ、娯楽やおしゃれ、良質の食事などをことさらあげつらう、自ら特攻隊や勤労奉仕に”志願”するように仕向けられる、戦況が悪くなってもひたすら辛抱する…など、当時の出来事から現代のいじめ・ネットリンチ・いわゆる”炎上”に至るまで、社会心理・大衆心理が持つ傾向についてあらかじめ学ぶ。

・語られている体験談の背後には、語りたくなかった、もしくは語りたくても語る術を持たなかった無数の人がいるということに心を寄せる。

戦争体験者は皆さん年齢を重ねられた。語り部が世代交替する時期に差し掛かっている。同時に、何かと勇ましい大声を出す人が増えてきた。私は1970年代後半に通っていた高校の社会科授業で戦前戦後の経緯や、マスメディアが抱えている独特の「癖」について詳しく学んだ。「暮しの手帖」を子供の頃に読んでいた私にはすんなり腑に落ちる話で、教師が作ったガリ版プリントを今でも保管しているが、周囲は明治あがりの”保守系”の考え方をする人が多数派で、その教師をなめてかかっていた。私はそこでも孤立していた。

私の世代の”お勉強ができる学校”にしてこれだから、若い世代は推して知るべし、だろう。語り部活動には今後一層の困難が予想される。だからこそ引き継ぐ人たちにはぜひ心理学的なアプローチを取り入れて、リアルタイム世代の朴訥さや無意識の偏見を補ってほしい。

衣食足りてこそ

「戦争中の暮しの記録」感想文を読むと、私の目はどうしても「あさましい、ずるいとされる行動」に言及する投稿に向いてしまう。上で紹介した、母親が子供に内緒でふかしいもを食べていたという話、復員して残虐行為を自慢げに話す人の話、終戦で奉天から引き揚げる際に子供をひとり600円で売った人、子供3人は連れていけないので上2人に死んでもらい、赤ちゃんだけ連れて逃げてきた話など…そこに目が行くのは、戦時下であろうと平和であろうと露呈される「人間の醜さ」が著されているからだろう。礼節は衣食が足りて初めて成り立つものと、改めて思う。

「戦争中の暮しの記録」募集に寄せられた投稿で、この問題に言及する人はあまり多くなかったという。やはり”恥とする意識”が相当強いためだろう。

この世の中は、出し抜いて得をする人や”ただ乗り”する人にとても厳しい。矛先は保護されてしかるべき人にまで向く。大金持ちやスポーツ選手にはなぜか甘いが、身近にいる「ちょっとだけ優遇」は許せず、相手の社会的生命が尽きるまで弾劾する。

その社会心理が根付いているがゆえに、身内が”ずるい”行動を取り、裏切られたような気持ちになったという話は、なかなか表に出しづらいのだろう。しかし、現代の日常生活に直接役立つ戦争体験は、断然この系統の話である。

今は物価が上がり、公的負担は重さを増し、格差が拡大する一方である。新自由主義的な考え方をする財界人が政府に重用されている。これまでの便利な暮らしを支えてきた精緻なシステムがさび付きはじめている。オンラインを用いた全体主義回帰傾向が露わになっている。
さらにこの先、気候変動や大きな災害が控えている。

再びの極限状態になる日まで、長生きさせられてしまうのだろうか。不覚にもその時まで生きてしまったら、餓鬼道の亡者にならざるを得ないのだろうか。心の片隅の暗雲は、おそらく最後の呼吸まで消えることはないだろう。

全くの余談となるが、投稿の中に「明治を生きた母は、女学生時代お稽古の帰り、袂によく付け文を入れられた」という話があって、「光る君へ」の藤原公任と「F4」仲間のシーンをつい思い出してしまった。あの習慣をかなり後年まで残していた地域があったということである。子供を人買いに売る話といい、人が作る世は良くも悪しくもあまり変わらないものかもしれない。

バラはこわい

最後に当時の誌面に掲載されていた、おそらく単行本の「戦争中の暮しの記録」からは漏れているであろう、当時の若手作家による感想を引用する。

このごろバラの花を見ると、アレルギーを起こす。どういうわけかと原因を追求してみたら、どうも本誌別冊の”戦争中の暮しの記録”にあるらしい。あの表紙には赤いバラの一輪が鮮やかに写っている。あの本を見るとゾッとするので、いつのまにかバラを見てもゾッとするようになったのだ。

「暮しの手帖 第100号」(1969年)より。「別冊」は原文のまま

漫画家サトウサンペイ氏の連載記事である。サトウ氏は、戦争映画は大好きだが「戦争中の暮しの記録」は1回パラパラとめくっただけであとは見なかったと、正直に綴る。終戦時に10代だった氏は、「戦争中の暮らしは他の誰よりも心や体に深く激しく食い込んだ」世代にあたる。

サトウ氏は、痛みのおさまった歯を歯医者にもう一度ギーギーやられるのはごめん、としつつ

それだけにあの記録はどんな反戦の演説や映画よりも、治にいるわれわれに乱を忘れさせないキキメを発する。ぼく自身、タマの飛び交う戦場場面は今それほどこわいと思わないが、あの暮しの記録、いやバラの花を見ただけで、こんなにふるえ上がるのだから。

「暮しの手帖 第100号」(1969年)より

と続け、「バラの花がこわいからこそ、軍備をしなければという考えである」という見解を述べている。

「暮しの手帖」戦争中の暮しの記録を読んでいたら、いやはやまさにわが文章の形と、よく似た一文があって、(中略)懸賞小説に応募した作品の中には、小生の、助詞とっぱづし、だらだらとうちつづく文章が、ちらほら見受けられると、話にはきいていた。
しかし、その実物にぶつかったのは始めてで、奇妙な印象を受けたのだが、さらに読みすすみ、末尾の解説を読むと、この文章の書き手は、七十歳近い婦人で、しかも、これまでに、手紙すらも書いたおぼえのない方、手紙も書かない婦人が、いわば書かずにいられなかったという、その執念にももちろんうたれ、(中略)手紙を書いたことすらなかった方が、わがうらみを述べる時、文体があのようになることを発見して、おどろきもした。

…ぼくの方法はまちがっていないのだ。ぼくは、綿々と、はじめて文章を書いた婦人の域に近ずくべく、これからも、ぼく自身の「白骨の文章」を書きつづけるつもりである。

「暮しの手帖 第99号」(1969年)より

作家の野坂昭如氏が「雑記帳」に投稿した文章である。「火垂るの墓」を上梓して間もない頃であった。









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