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私の歌とジョニー

採点結果は90点を超えていた。同席する友人に褒めはやされたのはまんざらでもなかった。この歌声は生まれ持った資質に頼りきりな私が努力によって手に入れた数少ない美点のひとつかもしれない。
元々、聴いた者に羞恥を呼び覚ますくらいに下手だったのだが、カラオケに通い詰めたりハンドルを握りながら熱唱したりで、少しずつ上達していった。


下手だった頃を回想するといつもジョニーが浮かんでくる。
私とジョニーをめぐる物語については、結局何も始まらなかったし何も終わりはしなかったのだが。


歌が上手くないのだと気づいたのは中学三年生のころだった。


当時音楽というものに興味がなかったわけではないものの、放課後に有り余った体力を部活動や友人との遊び(アウトドア)に充てることが多かったためにカラオケに行く機会はなかった。そんな日常はお粗末な技量にとっての隠れ蓑だったらしく、歌声をクラス会のカラオケで披露したとき、映し出された採点結果と聴衆のむきだしの反応とが胸を衝いた。そのときはじめてジョニーの心からの笑顔を見た気がして、自尊心が粉々になったことより、どちらかというと屈託のないあの笑顔の方が印象に残っている。


クラスメイト全員が参加したその会では、40人を収容するカラオケルームがなかったために10人ずつ4部屋に分かれた。
ジョニーは向かい側の長椅子にかけていた。普段控えめな印象の彼は、噂では歌唱に長けているらしかったが、実力を存分に発揮できる環境下にあってもなお控えめで、気の抜けたコーラをいつまでも啜り、マイクが回ってくるタイミングで継ぎ足しに退出した。


私はそんなジョニーに魅力を感じていた。いつもクールな彼が、面倒な絡まれ方をする際に見せる困ったような顔が愛らしかった。授業中目が合うと微かな鼻息まじりに口角が上がるのが好きだった。


ジョニーは大半のクラスメイトからいくらか距離を置かれていた。校内で活発な関わりを持たないくせに他校の学生とは強い結びつき方をしていて、同じ青春を共有していないとみなされたのだろう。
中学生特有のくだらない校内のゴシップに無反応を貫くのは、通う学校の他に居場所が確立されているからに他ならず、そんなジョニーはなんだかオトナに見えた。


ジョニーの余裕が鼻につくらしいクラスメイトたちは、しかし特段の悪事を働いたわけでもない彼に明確な悪意を突きつけることができず、成熟した所作に逐一<ジョニーはさすがですね>などと放ち、祭り上げることで群れからはぶいていた。
心無い扱いに気づかないでもないジョニーだったが、それすら意に介さず、宙に視線をやってやり過ごしていた。


私は授業間の小休憩に行くトイレから修学旅行の班決めに至るまで、ジョニーとみんなとの橋渡しになるべく機を伺っていた。実際、男子便所で独特の一体感の中にジョニーと入り込んだこともあったし、修学旅行は同じ班で行った。どちらかといえば周囲からの認知度の高い生徒だった私が、班決めのLHRでみんなに先立ってジョニーと同じ班を希望したとき、クラスが気色の悪いざわめきかたをした。
なぜ手を差し伸べようとしたかというと、ジョニーの魅力を知っていたからだ。他に居場所があったって二番目の居場所が劣悪である必要はないからだ。クラスメイトの度外れな無神経さは無邪気ともとれる域に達していたが、だからと言って不快であることに変わりはなかったからだ。


だが、私が望んだかたちにはならなかった。
結局私一人では大衆を扇動する影響力はなかったし、そもそもジョニー自身に馴染もうとする気概が毛頭なかったからだ。


そして全ての定期テストと行事が済んだ頃、クラス会が開かれた。
最終学期末ということもあって親睦を深めるねらいはなく、来月高校生になることに浮き足立つ感じをみんなで共有する会とでもいうふうだった。


マイクを置いたあと一通り茶化され、きまりの悪い私はしばらくして逃げるようにドリンクバーに向かった。色々な歌声が漏れる廊下は恥によって火照った顔には涼しく感じられた。


<でも、歌は上手くなるよ。だれでも>それは佇むジョニーがドリンクバーの台に身体をあずけて準備していた言葉に違いなかった。
私が何と返したかは覚えていない。ただそのとき、関係を深めようとした私の善意への、少しばかりの応酬だったように感じたのは忘れられない。


面倒くさがりな私が自分を見捨てずに努力し、自信を持てるほどの歌声を得られたのはジョニーのおかげなのだと今では思っている。


ジョニー、元気にしてるかな。




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