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「しごでき至上主義」時代が到来な話

突然ですが、自分の脳内言語とかけ離れているが故に難しいと言う理由で、書き言葉を丁寧語じゃなくしようと思ったけれど、やっぱりこのまま続けることにしたことをここに(勝手に)宣言します。なぜなら、人に話しかけるとき私は95%丁寧語だから。いや、何の報告なのか…

話を戻しますが、ここのところものすごく電車が混んでいる気がするのは気のせいでしょうか。いいえ、これは絶対に気のせいではありません。間違いなく事実です。
4月になってからというもの、もともと混んでいた通勤ラッシュの時間帯、車内は以前にも増して殺人的な圧縮状態。度々出る体調不良者、遅れる電車、そうして増す圧縮率…。毎日がこの繰り返しです。あんなに混んでるんだもの、そりゃあ具合が悪くもなるさ…。

そんな中、子供の頃からなんでなんで癖があるわたしは考えました。なんでこんなに混んでいるのだろうか…。なんでなんで?
私の一旦の結論はこうです。

・4月になって新入社員が増える
・近年の経済の状況や情勢から、定年後も継続雇用される人が多い(定年退職する人が少ない)

全体の労働人口が増加する!

そう、日本の電車内の人間圧縮率は、どんどんどんどん増えていく運命なのです…なんということだ。

そんな、"働く人"が、電車に収まりきらないほどいる昨今に、とても台頭してきている価値観があると思います。

名付けて「しごでき至上主義」です。

これはどんな価値観かと言いますと、
仕事ができるか否か、早いか遅いか、そんな個性が、ほぼ人間そのものの価値と直結してしまうような考え方のことを指します。
そんな考え方がこの世の中の主流になりつつある気がするのです。

確かに、仕事ができるって素晴らしいことです。情報処理が早い、コミュニケーション能力が素晴らしい、知識が豊富、とても気が使える、などなど…他にもたくさんありそうですが、そういった能力はもちろん年収にも直結していくでしょうし、その人の美点でもあります。そう、「しごでき」を人間の魅力の一つとして捉えるのは全然問題ないのです。
でも逆に、これができないからと言って、そのことを人間性に対する言及にまで持ち込むのってちょっと怖いことではないでしょうか。

私たちが子どものころ想像していた「社会」ってきっと、「学校」とか「クラス」とかとは違ってとても広くて自由なところでした。でもそれが最近では(もしかするとずっと昔からかもしれないけれど)全然違くなってきている。
仕事をする人が増えたが故にどんどん肥大化した「しごでき至上主義」的な価値観が、仕事が関係ないはずのコミュニティや関係性にも侵食してゆく。そうして、そのことが私たちをどんどん息苦しくさせていく。

本来なら私たちは、ただ1人の「人」と「人」として相対していて、そこに立場やコミュニティという枠組みや、考えや性別や何かが乗っかってくるという流れのはずです。でも、自分自身もそうなのですが、それがついつい逆になってしまうことがよくあります。ガチガチの先入観や勝手に決めた枠組みで身構えて、そこからコミュニケーションをとってしまう。

そんなこと、やめたいな。
…やめていこう、少しずつでも。

これがこの話の最終着地点です。

誰かの素敵なところって、きっと一方向からじゃあ、ちゃんと見えないんだな。
そんな心持ちでまずは生きていこうという抱負を述べて、締めくくろうと思います。
そう、「しごでき至上主義」に抗って…
(でも仕事はできるようになりたい)

最後まで目を通してくださって、ありがとうございます。

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