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誰かと一緒に泣く

涙もろいほうだと思う。
映画館では音を出さないように、頬から首へと伝う涙を拭うことなく放置する。
本当は拭きたいよ、服びしょびしょになるもん(笑)
昨日映画を観たことはつぶやきの通りなのだけど、今までになかったのは
エンドロールの最中にすすり泣く声が5か所くらいから聞こえたこと。
私も混ざっていいよね、混ざろう。と思って音を消すのをやめた。

『アディクトを待ちながら』を一言でまとめると
依存症者や家族たちの互助会と、社会とのかかわりを描いた作品だ。
一言でまとめたので不十分なのは許してほしい。
ううん、本当は何文字あったってまとめられないと思う。
消化できないまま時間とともに薄まってしまうことが悔しい。
それでも琴線に触れる部分がたくさんあったから泣いたのだ。

作品の途中では、登場人物たちにもらい泣き。
エンドロールでは、泣いている人たちに対して泣いていた。
ここにいる人たちはどうしてこの映画に足を運んだのだろう、とか
何に反応して泣いているのだろうと想像して。
アディクション経験者や支援者もいるかもしれない。
振り回されて大変な目に遭った人もいるかもしれない。
アディクションに限らず、各々がきっと自身の経験と重ね合わせて
言葉にならない気持ちになったのだろうなと思う。
私の憶測だけどね。

誰かと一緒に泣く時間は特別だと思う。
知り合いかどうかは関係ない。
心のやわらかな部分を剥き出しにして私たちは震えていた。
例えるなら、蝋燭の火が風に吹かれて揺れるように。
普段、痛いときに痛いと言えない。
痛がっているのを笑われる可能性もあるから。
それでも痛みを自分の器から滲み出させて
それぞれの経験と感情を、同じ音で表出した。
その数分が何より私の心に残った。





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