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【映画】鬼滅の刃 絆の奇跡、そして柱稽古へ

公開初日に行きました。まあ、映画というか「総集編+柱稽古編初回分」という形で、いわゆる「劇場版」とはちょいニュアンス違うんですけど、前回でその辺は理解したので、今回は違和感なくいけました。

レイトショーだったので、小中学生なんかはもう来ない時間帯だったんですが、割とお客さんはぎっしり入ってました。平日の夜ですが、まあ翌日は土曜ですし、公開初日ですしね。やっぱり人気あるなぁ、と実感。

物語(今回のお話以前の部分)

連続物の途中なので「鬼滅の刃」そのものを知らない方が観ても多分なんのこっちゃですので(まあ、この記事読む人は大筋はご存知だとは思いますが、さらっとおさらい。

鬼滅の刃 立志編・無限列車編・遊郭編

立志編・無限列車編・遊郭編・刀鍛冶の里編を超ざっくり

時は大正、主人公の炭治郎少年がある日帰宅すると、家族は鬼に惨殺されていました。かろうじて生きていた妹の禰豆子も半分鬼になりかけている状態。炭治郎は妹を再び人間に戻すべく、そして家族を惨殺した鬼を退治すべく「鬼狩り」の道へ進みます。

鬼狩りの部隊は「鬼殺隊」といい、その集団の最強軍団が「柱」と呼ばれるメンバー。炭治郎は同期の善逸、伊之助、禰豆子、そして「炎柱」の煉獄杏寿郎と共に、任務である列車に乗り込みます。敵陣も最強の鬼軍団の「上弦の鬼」猗窩座との死闘の末、煉獄杏寿郎は命を落としてしまいます。炭治郎たち、次の世代に希望を託して。

闘いを終えた炭治郎たちが療養していると「音柱」の宇随天元がそこに現れます。彼は遊郭で暴れている鬼を追っていました。炭治郎たちは、遊郭に乗り込み、潜入調査を開始します。死闘の末、炭治郎たちは上弦の鬼の「堕姫+妓夫太郎」を討伐することに成功します。

百年ぶりに上弦の鬼が倒され、その事実は鬼殺隊のみならず、鬼舞辻無惨の元に呼び出された上弦の鬼たちにも波紋を呼んでいました。一方、療養生活を送る炭治郎は、刃毀れで刀鍛冶・鋼鐵塚を怒らせてしまったことを知り、直接話すため刀鍛冶たちの暮らす里へ向かいます。が、ここでも鬼の襲撃が…

物語(今回のお話の部分)

劇場で観たのは「刀鍛冶の里編の終盤からの物語」なので、ようやくここからが今回のお話です(前置き長いな)

刀鍛冶の里編

刀鍛冶の里の最終話、炭治郎は「早く敵を追いかけなければ里の人たちがやられてしまう、だがここを離れると禰豆子が太陽の光を浴びて死んでしまう」という二者択一に迫られます。トロッコ問題的な局面ですね。逡巡する炭治郎を禰豆子は巴投げの体制で強く自分のところから蹴り出します。

からくも鬼を倒した炭治郎には「妹を死なせてしまった」という絶望で涙をこぼします。が、そこで太陽に焼かれたはずの禰豆子が目の前に現れ言葉を発します。「おはよう」

太陽を克服した禰豆子と、里を救った炭治郎たちを、大勢の人たちが温かく送り出します。(ここまでは既出分なのでネタバレになってないですよね)

柱稽古編

※ここから少しネタバレが入ります。ご注意
これ、いきなり原作にないオリジナルの戦闘シーンが入ります。伊黒小芭内と不死川実弥は鬼にさらわれた女性を救出すべく、とある城郭で鬼との戦闘を繰り広げます。ここのバトルシーンはなかなかの迫力。

太陽を克服した禰豆子は、鬼のトップである鬼舞辻無惨に狙われることとなります。禰豆子を食べてしまえば、無惨は太陽を克服出来ると。

一方、鬼殺隊はきたる最終局面に向けて、総力戦を可能にするため隊員の戦力強化を開始します。これが「柱稽古」ですね。次のシーズンはここです。


感想

太陽の光を浴びて生きられない禰豆子が、そこから脱却できたシーンは、おそらく鬼滅の中でも突出した名シーンだと思います。失意のどん底で泣きわめく炭治郎の涙の意味が、途中から歓喜の涙に代わるんですよね。漫画で物語を知っていたとはいえ、ここのシーンはやはり来るものがありました。なんつーか、「振り幅がMAX」なんです。100の絶望が100の歓喜に変わる。うまいなぁ、こんなん泣くに決まってる…

物語の後半には笑えるシーンもたくさん出てきます。が、最後の最後に抑制のきいた「張り詰める空気感」を残して物語が終わります。長く楽しんできたこの物語も、いよいよ最終局面に一歩ずつ進んでいるのだな…と。

これ、できればエンドロールが終わるまで席を立たない方がいいです。一番最後のワンカットに少し胸が熱くなる。


原作改変について

で、ここで少し時事ネタっぽいお話をしますと、上述のとおり「原作改変」のシーンがあります。Kindleで再確認したけど、伊黒・不死川の城郭戦闘シーンは元々は存在しないんです。

ただ、毎回「賛否両論」になる原作改変について、この作品の場合はおそらくクレームは出ないと思う。何故なら、本筋を邪魔していない。整合性エラーがないんです。なおかつ、キャラの魅力を深めるために魅力的な味付けとして機能している。

原作改変は、基本やらない方がいいとは思うんですが、それは「作り手側で、原作への理解と愛情が不足」が露呈すると「もっと作品を愛しているファン層」からは単純に「欠落要素」が増えるだけなんですよね。プラスの効果を生み出すのは至難の業。キャラの味付けを深めるにしても、冗長すぎると説明過多の濃い味付けにしかならない。過不足ないラインの見極めって難しいですね。

柱稽古編は、序盤が比較的起伏に欠ける(必要なお話なんですけど、地味です)ので、景気付けにばーんとバトルを挟んだ。そして柱の会議にもきっちりこの2名は遅れてきます。整合性に齟齬が生じてない。原作改変で「プラスに持って行った」はなかなか凄いんじゃないかな。

総評

鬼滅は少年漫画の王道というか、ジャンプ的な「努力・友情・勝利」な漫画なのですが、実は日本人のめっちゃ好きな要素が入ってて、それが「鬼退治」と「復讐もの」です。鬼退治はまあ、童話の「桃太郎」でお分かりいただけると思うのですが、多分「忠臣蔵」的な「虐げられたものがリベンジ」はどの世代にも好まれるんじゃないかなと。池井戸潤の「半沢直樹」はまさにそれですよね。

現代のアニメでこれをやると「CG的なマルチアングルなカメラワーク」や「ド迫力の映像効果」が加わります。余談ですが、私的にこのマルチアングルなカメラワークは「スパイダーマン」が歴史的なターニングポイントだと考えています。あのビルの合間を縦横無尽に飛び回るやつですね。あれがなければ「進撃の巨人の「立体起動装置」も生まれなかったんじゃないかな。



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