見出し画像

真っ暗な浜辺

辛い事や考え事があると海へ向かう。

何かを考えるわけでもなくただずっと
【無】になれるから。

海が近くにある環境に育ち、
全ての出来事が浜辺にある。

あの人との思い出もこの人との思い出も😂
友達との青春も。

パパを亡くした高校三年生の夏。
パパを見送ってから夏休みも終わり。
学校へ登校した私を心配そうに見る友達。
明るく気丈に振る舞うも涙が出てとまらない。
だって皆、パパのこと知ってる友達だったから。

皆、心配するから【大丈夫】そう頑張っていたけど無理してるのもわかるだろうし。
高校三年生ともなれば誤魔化しも効かなくなってる。
だから、家に帰ったらただ生きてるそんな過ごし方をした。

noteに書いていないが
育ての叔母やその娘の私にとっては姉みたいな存在。

お金のトラブルが小さい時からあるが
パパを亡くした私は少しパパからの遺産が入った。
微々たるものだったけどこれからのために少し残そうとも思ったけど。

周りの人がいなくなる。
そうすると私へのお金の要求がすごい。
拒否をすると二人で育ててやった恩を言われ続けた。そしてお金もいらないと思った私は
パパの仕事関係で下についていた二人に
気持ちだけど渡した。
結局、高校卒業するまではあの家でお世話になるしお金も有り金全て取られるんだから。
それなら少しでもパパが残したお金をこの二人に渡したい。そう思った。
パパからお小遣いをもらい生計していた二人は
急にパパがいなくなったことで収入もない。
せめてもパパをお世話してくれた二人に。
【ありがとう】を伝えたい。
パパもさ、きっとそうして欲しかったはずだから。

二人は遠慮しながらももらってくれた。

それだけで充分だった。

あとは残りの微々たるお金はあの人達に渡そう。
もういいや。
あるのわかれば無くなるまで毎日、言われ続ける。ストレス。渡したら言わなくなると思った。


でも渡しても今度はパパの財産を分散した文句を言われる。
育てたのはこっちだと。

パパがお金を渡していたのを私はしっていた。
なんならパパと暮らしていた時期も考えたら
もう払わなくてもいいくらいだ。

お金への執着がすごい。

アタマがおかしくなりそうだった。

こっちは父親を亡くしてる痛みと闘ってるのに
あっちは他人事。
それはそーだ。
パパのいない所では私にパパの悪口を散々いってきたのだから。
帰ってきたときだけはパパに良い顔して
陰ではずっと悪口。
だから私は2人から離れたかった。
それでも育ててくれたことは感謝してる。

でもお金には汚い。

今だに姉から電話がくるとお金だと反射的に思ってしまう。

亡くなった悲しみも毎日のお金攻撃で精神がおかしくなりそうだった。
ご飯も食べれなくなり吐くようになった。
口にいれると気持ち悪くなるのだ。

叔母たちがさすがに心配する。
病院へ連れていかれた。
初めての精神科。

そこで診断されたのは
【摂食障害】だった。
担当の先生には全て話をした。
そして内緒にしてもらった。

だから通院のときは
姉や叔母と話したあと、必ず2人で話せるように時間を作ってくれた。
どうしたらいいかアドバイスをくれ、
今は居れる家がここしかない事。
だから耐えたいと。
もうすぐ🏫卒業だからそれまで頑張って耐えたい。
そうして担当の先生とやり取りをする。
先生はずっと施設を勧めてくれていた。
今更あと数ヶ月。
何とか乗り越えたいなー。


それでも苦しくて。
周りにいったら心配かけるし
言ったら言ったで私を嘘つき呼ばわりする姉たち。周りはもう気付いていたが
言ってもダメな人だとしっているので
私のことを考えて言わないでくれている。

そのうち、笑えなくなってしまった。
学校では何とか元気に過ごし、その分、かなりのエネルギーを消費した。
全て出し切らないと乗り越えられない。

家に帰ってくると【無】になる。

そのうち、消えてしまおうか考えた。
パパ、苦しい。
そう訴えた。

何度か夜逃亡して見つかり
近所の人や先輩など見張りがいるようになった😅
迷惑かけてるなと思って。
暫く周りが落ち着くのを待った。

元気になったフリをしてやろう。
それくらいなら出来る!
そうやって周りを安心させ、
決行した。

とある日の夜。
もう21時は回っていただろうか。
いつもなら怖い夜道もなぜかその日だけは
怖くなかった。

いつもいく浜辺に徒歩20分。
見つからず辿り着く。

何時間ぼーとしていただろうか。

涙を流し
ふらふらと海へ向かう。
【もういいや】
パパのとこ行こう。
もうすぐ行ける。そう思ったら涙も止まり
気持ちも楽になりそして、心が温かくなった。

パパ、迎えにきて。

そう思って海の中へ入った。
もう寒い夜の海の中。
途中、寒さで震える。
身体が動かなくなってきた。
寒さで凍える。
身体が半分つかったときくらいに
見つかってしまう。
呼び止める声も人が集まってることも
心配そうにみてる探し回っていた人達も
車のライトに照らされている。

一度、名前を呼ぶ声に振り返る。

その声は私が初めて付き合った彼氏だった。2個上の先輩で。そしてパパを慕ってパパにくっついて歩いていた。初めて付き合って初めてを沢山くれた。
ずっと大好きだった。
色々あってそのときはもう別れていたけど
中学一年からずっと。私を守ってくれた人。

やばい、失敗すると思った私は急いで進む。頭も浸かって。身体も冷えてて。
これってさ。そう思った瞬間。
震えるくらい寒い海の中の温度が温かくなった。そして身体がふわっと浮いた。
まだ足はついていたからその時は。
パパかなって思ったの。

意識もなくなりそうな瞬間
元カレが辿り着く。必死な顔で私を連れていく。
友達もいた。

皆どーして私を生かすの。
辛いのは私なのに。

皆、助けてくれるのは有り難いけどさ
その後、この人たちと生きて暮らしていかなきゃいけないの私だって知ってる?

責任とってくれるの。

もうすぐ楽になれたのに。
地獄に連れていかないで。

そう思って泣き叫んだ。

思っていたことを口にだした。

叔母は黙っていて姉はその場でも
お金は貰ってないと嘘をつき、
私の事を嘘つき呼ばわりした。

周りは姉の言ってる事は信じない。

皆わかってたから。
言わないでいてくれたのは
私の居場所がなくなるから。

叔母は謝っていた。

元カレや先輩に連れられ、いつも陰で守ってくれていた人達が集まっている。
同級生もいた。

確か、病院の担当医の先生もきてくれた。
そのまま病院に行ったはず。

元カレがあまり気持ちを言う事はなかったけど。
あの時、
【俺がお前に死なれたら嫌なんだよ】
普段そんな事を言わない人がそう言った。

その時、
心配かけてごめんね。
私、生きなきゃいけないんだね。
心配かけないように迷惑かけないように
生きていかないと。そう思って。
高校卒業したら、みんなから離れる決意をした。

それから何十年、
度々、居なくなりたいくらい、苦しくて嫌な事もあったけど生かされている。
今日も。

あのときの不思議な体験は今も思い出す。

そして今もあのとき、心配かけた人たちに
ごめんなさい。そう思って生きてる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?