自由と責任

私の中でのテーマである対にあるこの2つ。この狭間で大きなストレスや葛藤が生じるのが人生だと思うし、心が成熟に向かう道のりだとも思っている。タイトルの件については、このようなツイートをさせてもらった。


この問題に直面することが最近多い。

一人でやりたいことだけをやればストレスフリーであるのは間違いないけれども、その一方で人は一人では絶対に生きられない。生きていく過程でそのステージ毎に必ずと言っていいほどお世話になる人がいて、その人から助けられて、一つ一つ学びながら人生という階段を上がっていくと感じている。

一人で生きているようでも、決して一人で生きていけるわけではないし、今成熟した人間でいられているとしても、過去にたくさんの人が自分に関わってきたからこそ、今の自分がいるということを忘れてはならないと思っている。たとえ忘れてしまったとしても、どこかで気づいたら修正する必要があると思う。

生きている以上、一人でいられているようで、一人でいられているわけではない。必ず誰かが介在している。

だからこそ仮に自由を選択しようとするならば、それまで関わってきた人への誠意と責任はあって然るべきものと考えている。


これが反対に強いストレスと感じる時がその時の立場や状況によってはあるかもしれない。その時は確かに辛いと思う。とても辛い。その時は逃げることも選択肢として挙がるとは思う。

しかしここで大きな価値観の違いを生むと最近思う。苦しいながらも自分尾最低限の役割と責任を果たすのか、その場その場で自分の心に素直に生きるのか。


他人の為に生きるのが人生ではないと思うのも分かるが、その一方でたとえ自分が苦しかろうが、何にも得にもならないだろうが、逃げてはならない時もあると私は思っている。

一度自分で決めたことなら特にそうだし、そこに他人が介在する時はなおさらだ。逃げたら確かに自分のストレスは解消するし一時的に気持ちは楽になるけれども、ストレスに身を任せ、それを続けていたら同じ局面で同じ行動を起こす堂々巡りにもなり得るわけだ。

別にそれはそれで良いし、これはその人の価値観の違いだろうから完全に否定するつもりはないが、やりたいことを何でもやれてしまう世の中だったら秩序は崩壊すると思うし、やることやってる人が浮かばれないと思っている。



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最近はSNSでは『自分の好きなことだけすれば良い』という言葉をよく目にする。


これ自体は否定しない。

けれども自分中心での好きなことだけするのは違うと思っている。一人で済むことならば良いのだけれども、上で述べたように人は一人で生きられない以上はその状況は起こりにくい。最低限果たすべき役割というのは必ずあると思う。

だから"自由"の意味をはきちがえて、責任を果たさない自由を選ぶのはどう考えても違うと思ってしまう。この現実に直面してしまった時、責めるつもりもジャッジするつもりもないのだけれど、ただただ悲しい気持ちとやりきれない想いが募る。自由と責任はセットでないと秩序も心のバランスも崩れ始めるからだ。そこには心のキャパシティも乗り越える能力も必要になる。


『自由と責任』
これは常に私にとっての人生のテーマでもある。
自分の役割と責任はしっかり果たしつつ、自由に楽しく過ごせる日々を目指す。これが私にとっての秩序であり、とても大切にしたい価値観だと、この問題に直面してから強く思った。

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