石の上にも3年いたいのかな
今年の夏、12年ぶりに新卒で入社した会社の
"先輩であり戦友"とよべるような友人と再会しました。
きっかけは、Instagramが共通の友人を介して
お互いを表示してくれたこと。
会いたいね、と何度かやりとりして夏に再会すると まるで昨日、話して別れたあとかのように
会話はスムーズに運び またすぐ会いましょう。と お茶の約束をしました。
このご時世、そんな軽快な約束を出来る友人の有り難さを思います。
さて、会話は12年前の、当時の昔話から。
久しぶりに ここでも、少し昔の話を。
12年前、我々は同じ会社の先輩、後輩として出会います。
そこは、食やオーガニック、循環型の社会や環境作り、農業。 "心、身体、魂の全体性の回復"など それぞれに熱い想いや、なんらかの理想をもちながら入社する人が多い会社でした。
そんな想いに対して、現実はと言えば。
ライフスタイルを提案していながら、自身の生活は、終電間際まで残業をこなし、
理想を掲げるためなら、自らの生活を犠牲にするのは大義名分のため必要な犠牲なのか?
と愚痴をこぼしてしまいたくなるような業務量。
理念や、理想 熱い想いは素晴らしいけれど
私は、"現実的な、ゆとり世代。"
一年立つ頃には、アフターファイブを楽しみたいし、数年先を考えても、食事もゆっくり用意できないような生活では、自分の生活に対して
持続可能性を見出せない、と新卒入社するも、1年半ほどで離職することを決めました。
それでも、新米の社会人に様々な経験と、素晴らしい人脈をもたらしてくれた会社であることは
変わらず、選んだことに後悔はありません。
ただ、お腹いっぱい!と、キッパリと退社を決めました。
まるで部活動の熱血コーチとチーム、みたいな
雰囲気にお腹いっぱいになってしまいました。
今、振り返れば いい思い出も、今もあの場に残ることを選んでいたら 私の場合100%干からびていたでしょう。
さて、新卒で幾ばくかの希望と期待をもち入社した会社に離職を告げること。
少し億劫に感じながら、激務にすっかり疲れながら決断した私は、清々しい気持ち。
会社に退社の意思を伝えると、ありがたいことに心情に訴えながら、社会通念を持ち出されながら止めていただきます。
"新卒で、入社した会社。石の上にも、3年という言葉は知っているか?と。"
そのとき思ったのです。
もちろん、言葉の意味は理解している。
ただ、人それぞれ寿命が違うじゃないかと。
やはり、これから先 3年の時間の使い方は、
自分自身で決めるしかないと。
あれから12年経って、私の時間に対する感覚は
今も逆算的。
近況の中で、人付き合いの話に話題が移ったときに、そう自覚しました。
1日、24時間。
一に、美味しい食事の時間を確保すること、
二に、たっぷり眠ること、
三にパートナーとの時間を確保すること、
その他、掃除や身体のメンテナンスの時間など
必ず日々費やす時間をさっ引いて 残る時間
を考えてみれば、自ずと選択の基準がはっきりしてきます。
人間関係にストレスを感じている。
そんなとき
"いい人なんだけど"、の枕詞のあとに、
小論文を書けそうな人が身近にいないか感じてみます。
人生は、きっと思っているより短い。
目指す方向性や、叶えたい未来に焦点を合わせると、手放すべき重たいものが見えてきます。
人間関係は、ストレスの元凶や煩わしさになることもあるけれど、その対処に追われるように
時間を費やしているならば 未来への焦点を
見直すいいタイミングがきているのかもしれません。
人との関わりというものは私にとって、
例えるならば 絵の具や薬のようなもの。
混色のコツがあったり、薬のように用法容量を守って適切にお使いください、のような注意事項さえ守れば 楽しめるもの。
そのために、占星術ってやっぱり、便利だわ。
なんて、会話に花が咲いたりと
12年経っても改めて浮き彫りになる
自分の感覚を確かめ合えたような時間でした。
それにしても、
無茶をする時代もあってもいいもんだ、と
こんな風に、昔話に花が咲き ガハハと笑い合える日にはそう思います。
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