photo session×naoko sato
彼女と知り合ったのは2年前のこと。
瞑想家で料理家の 帯津美砂妃さんにより開催された、
”料理を通した瞑想とそのエッセンスを学ぶ” ワークショップにて、知り合っている。
ワークショップは栃木県 鹿沼市石裂山 瞑想の家という、瞑想のためにつくられた施設で開催された。
自分で参加しておきながら、こんな事を言うのもなんだけれど 山間のこのような場所(人里離れたと表現しても大袈裟ではないと思う)で開催されるワークショップに参加する人達は 一体どのような人なのだろうと期待と好奇心とが入り混じった気持ちで、そこでの出会いを楽しみに参加したことを思い出す。
そこに現れた彼女を一目見たとき、
"存在感のある人” というのは
このような瞳の強さと、生命力溢れる色気を放つ人なのだ、と感じたことを思い出す。
こうして、人里離れた山間で出会ったものの、 実際には、目と鼻の先ともいえるような近所に住んでいることが発覚してから早2年の月日を、
こうして撮影した写真と共に振り返る贅沢を想いながら 綴っている。
過去に共通の学びを経てきたことや、
興味関心のフィールドが近いことから、様々なトピックについて、時に情熱的に、時に静かに分かち合いながら観測してきた私なりの彼女の解釈と紹介を楽しんでもらえたらと思っている。
これまで4500人の妊婦さん、産後女性のケアインストラクターとして、女性の繊細な時期に傍で寄り添ってきたこと、彼女自身のこれまで経験、そして今現在の活動に共通して 流れるテーマがあると思う。
生命の誕生、女性としての在り方、性への向き合い方、生き方、死に方。
きっと 色々な現場で、生きる ということに関する鮮烈さを女性の傍で見守ってきたのだとおもう。
そこで生まれる様々な葛藤や歓びに触れる度、 きっと彼女は”生きることの輪郭”をはっきりとさせてきたのではないか、と勝手ながら憶測している。
"悔いなく生きること"
そうして そう生きる人が放つ
存在感と屈託なさに触れる度、私は癒されたり 励まされたり 情熱を思い出したりするから。
私は彼女の見守る空間の中、
ブレスワークというワークショップに定期的に参加している。
元々、呼吸の可能性に興味がありブレスワークの存在も知っていた。
息を引き取る、息を吹き返す、息が詰まる、虫の息 と息に関する慣用句が多く存在するように 息 というのは 命の状態そのもので 吸うことと吐くことは 人生の縮図のよう。
呼吸には、生きると死ぬが凝縮されていて、 だからこそ 人生を前進させるきっかけ、癒しのきっかけ、 手放しのきっかけ 、自身がどう生きるかという本質的な問いのきっかけ を与えてくれると感じている。
昔、心は心によって制せられず呼吸によって制せられる、という一文が記載された本を読んだようで、走り書きしたメモが出てきた。
今でも、真理だと感じる。
これまで、これほどまでに、呼吸をするのに気を遣う時期はなかったように思うけれど、もし、
不安や焦りや 疎外感を感じているのなら
ご自身の息の深さを観察してみては、と提案したい。
そして生命力や色気の源である呼吸の可能性を彼女を通して、写真を通して感じていただけたらと。
直子さんの活動はこちらから。
【ブレスワークの感想】
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