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『社会人大学人見知り学部卒業見込』と『ナナメの夕暮れ』

オードリーの若林さんが書かれた二冊のエッセイは人生の友になる気がする。

このnoteでは敬意を込めて若林と書く。

若林が抱える生きづらさは、自分のものとは完全に合致はしない。スタバのグランデを頼みづらい気持ちは分かるし、大学のサークルの男女グループでバーベキューに行く人たちをどこかで馬鹿にしながら精神的な健康を保っている。でも勉強も割と素直に頑張れたし、根拠のない自信もある方だ。苦しみの核となる部分が一緒じゃない。

それでもそれなりに悩んだりはするし、色んなことを深く考えようとしてみたりはする。そういう作業は結構苦しい。結論が出ないこともある。若林は自分以上に大きな苦しみと自分以上に長い時間向き合ってきた。その戦いの歴史を目にすることで、「自分だけじゃないんだな」と思うことができた。
高校生の時、『悩んだときに夏目漱石の本を読むといい』、というコラムを読んだことがある。結論から言うと、夏目漱石のような歴史的な偉人でも自分と同じ悩みを持っていたんだと言うことを知ることで気持ちが救われるかららしい。そこに解決はないが共感はある。その共感によって心が軽くなることもある。人生上手だった高校生の自分にも響いた言葉を、若林のエッセイによって数年越しに実感することになった。

自意識過剰を認識し、改善しようとし、諦め、悩みから卒業していく。

自分はこの本を3回読み返した。
何事も狭く深くが好きなタイプなのだ。

すると、何度読み返しても心動かされるところと、「ここ好きだったけど今はそうでもないかな」っていうところと、「こんないいこと書いてあったっけ?」っていうところが見つかる。

これは核となるところ、
これは成長したところ、
これはただ見落としてただけ?

そんなことを考えながら、少しずつ移ろい行く自分を感じる。
そうやって環境が変わった時、人間として成長した時の自分を見てくれる、まさに友達のような本だ。そういう本に出会えたのは初めてだ。し、最後でいいのかもななんて思う。

本質は違えど、自分も自分の過剰と欠落と向き合うタイプだ。
というか、多かれ少なかれ人類皆そうだと思っている。
自分の内側と向き合う時に、このエッセイを読むために本棚に手を伸ばす気がする。悩み相談を聞いて欲しくなった時に友達に連絡するのと同じだ。

若林の出した結論ではなく、その戦い方を、過程を少しだけ参考にできれば、なりたい大人に近づけるかもしれない。

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