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畑の小屋でひとり夜を過ごしている犬の話

立秋を過ぎ、犬たちとの夜の散歩も少し楽になってきました。
時間帯は20時半くらいから約1時間ですが、それまでの体中にまとわりつくような暑さとは違い、時折吹く風に心地よさを感じています。

いつもの散歩ルートは山を抜け、桃畑の間を通る、THE田舎道なので、真っ暗ですが、今の期間は桃畑の防蛾灯もあり黄色い光に照らされていい感じ。

散歩の途中、大きめの小屋があって、そこに犬がつながれています。昼間はいないけれど、夕方になるとおそらく飼い主に連れてこられて、散歩を済ませて、そのまま朝まで小屋につながれているみたい。

私たちが散歩をしていると、けっこう大きな声で吠えてきます。そりゃそうだよな、怖いよな。夜遅くに、歌を歌ったり、犬に話しかけながら散歩をする謎のおばさんの声と鼻息荒い2匹の犬が近づいてくる。(うん、恐怖だ)

ずっと私はこの犬をかわいそうだと思っていたし、飼い主にも怒りを感じていたんです。夜とはいえ、蒸し暑い気候の中、暗い畑にひとりぼっち。なんてことをするんだと。犬への虐待ではないかと。

けれども、早朝や夕方にその犬を連れているおじいさん、おばあさんをたまに見かけることもあって、どうしても悪意があるようには思えない。犬に寄り添っているようにさえ見えるのです。
(お話したことはありませんが。。。)

どうしてもどうしても已むに已まれぬ事情で、夜だけ自宅に犬を置いておくことができないのかもな。
吠えてしまうのか、ご近所トラブルなのか、家族の問題なのか、勝手に想像することしかできませんが、きっと苦しい思いでここへ連れてきているのではないかなあ、最近はそんな風に思うようになりました。

そして、ふと、私は私自身の偏った見方に気がつきました。

「可哀そうな犬」を創り出したていたのは私自身。どこにもそんな犬はいません。
ただ、夜に畑の小屋につながれている犬がいる。目の前にあるのはその事実だけなのです。それ以上でもそれ以下でもない。

飼い主さんを悪だと決めつけていたのも私。決めつける前に、その人の抱えているものに思いを寄せる時間や冷静さを持つべきだったのです。

あー、またやってるわ。
ほんと、犬のことになると冷静さを欠いてしまう。やれやれ、私。

今は、その小屋の前を通るとき、激しく吠える声が聞こえると、「だいじょうぶよ~」「暑いけどがんばろうねえ」とそのワンコに向かって声をかけるようにしています。
あの子は決して可哀想な犬ではないから。
その犬は私でもあり、全体でもあり、ブラフマンなのです。

気のせいかもしれませんが、最近、吠える声が少し小さくなってきたように思うのです。「あ、あの声のおばさんだ!」そんな風に思ってもらえたら、わたしとても嬉しいな。


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