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好きなことを仕事にするために【インタビュー】

今回のインタビューは、Webライターとして活躍されている、Chisatoさんにお話を聞きました。インタビューテーマは「より良い人生を、手にいれる」。副業としてWebライターを始めたきっかけや、人生観の変化について伺いました。


働き方を変えるための副業

Chisatoさん

ーー4月からWebライターの副業を始められたそうですね。きっかけは、あるのでしょうか。

昨年仕事を頑張りすぎたことが、副業を始めたきっかけです。仕事内容は好きですが重労働なんですよね。35年後もこのまま働き続けることは難しいと感じたので、働き方を変えようと思いました。

考えた結果、「会社員として働くのは向いていない」。以前の私は、安定した仕事と給料をもらえれば良いと考えていました。今の私は、やりたいことを仕事にしたいと考えています。その方が、自分の人生を彩れると思ったからです。

しかし、好きなことを仕事にしたいと言っても、スキルがありません。気持ちだけで仕事はできないし、価値提供もできないです。まずはスキルを身につけようと考えました。自分を磨くことは大切ですから。

ーー目標を定めて行動するのは素敵ですね。どのようなことを学ばれましたか。

これからの時代に求められるスキルを検討した結果、ライティングとSNSという結論に至りました。これらのスキルを学べるオンラインスクールが、POOLO JOBです。

トラベルクリエイターを育成するPOOLO JOBでは、ライティングやSNSブランディング力、取材方法などを学びました。

POOLO JOB活動のChisatoさん(左上)

旅好きのきっかけは、幼少期

5歳頃のChisatoさん

ーートラベルクリエイターということは、旅が好きなのですか。

好きですね。社会人になって、25歳頃から1人旅をするようになりました。気がつけば、45都道府県は制覇済みです。

ーーあと少しで全国制覇ですね。旅が好きになったきっかけはありますか。

3歳から7歳までの4年間、福岡に住んでいました。当時の旅行が旅を好きになったきっかけです。非日常を感じられる旅って楽しいなと、この頃から思い始めました。

具体的には、3人の幼馴染とその家族とで頻繁に旅行していたことです。車で九州各地を巡ることが多く、夏休みなどの長期休暇では幼馴染の家に泊まるイベントが、ほぼ毎週末ありました。人数も多く、子供8人・大人8人の計4家族です。

ーー高頻度で大人数なので、インパクトのある思い出ですね。

インパクトありますよね。親同士が協力し、私たちを育ててくれたことも印象的です。九州旅行と言っても、車だと長時間移動になります。次のサービスエリアまでは〇〇ちゃんの車、その次は△△ちゃんの車というように、持ち回りで子どもを乗せてくれていました。

移動も旅として楽しんでいたので、道中含めて良い思い出です。楽しかった分、どこへ行ったのか、幼馴染が何を言ったのか、今も覚えています。

そうはいっても、3歳から7歳頃の話。少しずつ記憶が薄れてきています。思い出すために、母と幼少期の鹿児島旅行について話していました。

「桜島サービスエリアなのに桜島が全く見えない」と嘆いていた話も、「見たことないけど富士山みたいじゃない!?」と開聞岳を見てテンションが上がった話も、母は覚えていません。そこで、当時の記憶を辿るために、鹿児島へ行ってきました。

記憶通り、桜島サービスエリアでは桜島が見えませんでした。天気の都合で開聞岳の山頂は確認できなかったので、ネットで確認すると富士山に似ています。懐かしい気持ちで一杯になる旅行ができました。

鹿児島旅行時のChisatoさん

各地方の魅力を求めて

旅行中のChisatoさん

ーー幼少期に素敵な思い出があると旅行が好きになりますね。地方へ行かれるのが好きなのですか。

そうですね、好きです。都会にはない地方の不便さに魅力があると感じています。不便さを補完するため、地域の人たちが協力しながら生活をする密着さ。それがその地のコミュニティを形成し、独自の文化を生み出します。

現地の方と話して仲良くなり、自分でその地域を見て聞いていくのです。そうするうちに、地域の魅力を理解できます。魅力を体感するのは、旅の醍醐味ですね。

山口県の萩市へ行ったときには、家の庭先に座っているおばあちゃんと仲良くなり、陶磁器の萩焼をいただきました。他にも、オススメの飲食店を教えてもらい、実際に訪れると美味しいんです。

萩市を訪れた際に、Chisatoさんが食べた食事

ーー素敵な出会いですね。旅行に行っても、現地の方とお話しする機会は滅多にないので、羨ましいです。

ピンチを助けてもらうこともありましたよ。レンタル自転車で萩市を周っていたのですが、ロングスカートを履いていました。スカートがチェーンに絡まり、動けなくなってしまったのです。

困っている私を見かけた地元の方が、助けてくれました。スカートが再度巻き込まれないようにするため、ゴム紐までいただいたのです。最後は飲みへ行くほど、仲良しに。

ーーピンチを、人と出会うチャンスに変えたのですね。

都会ではなく地方というのも、チャンスに変わった要因だと思います。先ほどお話したとおり、コミュニティの繋がりや助け合いが、都会よりも強いように感じるからです。人との出会いや地域特有の文化を知ることで、日本の魅力を再発見できます。魅力を見つけるたびに、旅の楽しさが募るんです。

27歳で変わった人生観

27歳のChisatoさん

ーー副業を始めたお話も、旅行のお話も、Chisatoさんからエネルギーを感じます。人生で大切にされていることはあるのでしょうか。

妥協せずに人生を楽しみ、直感を信じることを大事にしています。手抜きの決断は、人生の価値を下げると思うからです。

ーーこれらが、Chisatoさんの行動力に繋がっているのですね。この考え方を持つようになった、きっかけはありますか。

27歳で味わった、人生のどん底がきっかけです。それまでの私は、腑に落ちない場合でも、黙って従う性格でした。引っ込み思案だったわけではないのですが、27歳を起点に、相手の意見を理解した上で、納得できない部分についての説明を求めるようになります。上司からすると、面倒だと感じることもあるでしょうね。

公私共にトラブルが続き、27歳頃は人間関係を上手く築けないことがいくつかありました。それらが原因で、精神的にダメージを受けたんです。ストレス過多で体重が減り、165cmで46kgでした。

そのとき、出会ったのがロックバンドのSUPER BEAVER。2016年にリリースしたアルバム「27」に収録されている「27」という楽曲に背中を押してもらったのを、今でも強く覚えています。当時は気づいたら涙が流れていて、泣きながら帰宅することも多かったです。特に「許せることが増えた 譲れはしないけど」という歌詞があり、心に深く響きましたね。

「自分の人生もっと絶対楽しんでやる。絶対に」と、奮起。地に足をつけ、前を向いて自分の人生を突き進もうと、考え方を変えるきっかけをくれました。考え方が変わったこともあり、この頃から、実現すると決めたことは即実行するようになります。今週末は予定ないから旅行に行こう、というように。

音楽あってこその人生

ピアノを弾く、7歳のChisatoさん

ーー音楽の力は偉大ですね。

偉大ですし、私にとっては、呼吸するように身近な存在です。音楽なしの人生は考えられません。

3歳から12歳まで、プロのピアニストを育てる音楽教室に通っていました。17時から19時まで、毎日ピアノを練習していましたし、学校の教科書よりも楽譜を読んでいたくらいです。

中学生になってピアノを辞め、クラシック以外の音楽を聞くようになります。クラシックしか知らなかったので、音楽の種類が多くて驚きました。そして「音楽好きなんだ」と気づいたんです。身近すぎて気づかなかったですが、私の中に音楽はすでに溶け込んでいました。

私にとって、音楽は本当にかけがえのないもの。音楽があったから、人生どん底だと思っても、立て直すことができました。「音楽あってこその人生」と、身にしみています。

Webライターとして生きるために

Chisatoさん

ーー最後になりますが、将来のビジョンを教えてください。

現在は、会社員とWebライターを並走しています。しかし、先ほども話したように、会社員は向いていないんです。なので、今の会社を9月末で辞めます。

Webライターだけで稼ぐのは理想ですが、難しいのが現実。何事も経験だと思っているので、色々な仕事を掛け持ちし、複業フリーランスとして働く予定です。いろいろな知識や知見を吸収し、それらが糧となり、自分自身にプラスとして返ってくると信じて。

最終的には、ライティングのお仕事を主軸にしたいです。現時点では難しいことも多いですが、旅や音楽という好きなことを題材にできればと思っています。

乗り越えるから輝く人生

27歳で人生の分岐点を迎えたChisatoさん。辛い経験を乗り越えたことで、人生の深みが増したのでしょう。ご自身の意見をハッキリと述べる印象なので、考え方が変わったことは取材を通して感じることができました。

オンライン取材だったのですが、画面越しでも伝わる明るさとエネルギー。彼女の魅力です。ポジティブさと行動力で、これからも楽しい人生を掴み取っていくと思います。人生には辛いことが多々ありますが、それを乗り越えることで明るい未来が開けることを教えてくれました。

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