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『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』を龍騎世代の視点から語る

「グランドシネマサンシャイン 池袋」で観ました。

 初めまして。黒亜ティアと申します。

 C100のあとnoteを始め、同人活動の裏話でもしたためようなどと思っていましたが、なんと初投稿が仮面ライダーの話になるという、自分でも予想しないこととなりました。

 それほどまでに、『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』という映画が自身の心にドン刺さりし、観終わったあとに深い感動に包まれたということで、しばし感想や考察を垂れ流すとりとめない文章にお付き合いいただければ幸いです。

※この投稿には、標題の映画の重大なネタバレが含まれます。閲覧は自己責任でお願いいたします。

※筆者は映画に参戦したライダー作品のうち、仮面ライダー龍騎しか視聴経験がありません。そのため、その他2作品に対する知識が皆無であり、考察が不十分である可能性がございます。

※特に2-1.においては、しっちゃかめっちゃかな考えを展開しておりますが、ご笑納いただけますと幸いです。


0.はじめに

0-1.投稿者のバックグラウンド

  • しがない弱小同人作家。20代半ば。

  • 仮面ライダーはアギト〜剣のリアタイ視聴勢。

  • 幼稚園のときに母親と一緒に仮面ライダーにハマり、龍騎放映中は、松田悟志氏・涼平氏(芸名は当時)・弓削智久氏などの握手会にたびたび参加。
    555放映中は、劇場版のエキストラとしてさいたまスーパーアリーナで歓声をあげるような役をやった(エンドロールに本名が載っている)。

  • 響以降の作品は見ておらず、最近の仮面ライダーには全くついていけていない。龍騎と剣に囚われており、この2作品だけ何周も見ている。

  • 仮面ライダー王蛇と浅倉威の大ファン。客演で登場している他ライダーの外伝作品等は全てチェックしている。今はとにかくアウトサイダーズで王蛇サバイブが見られるのが楽しみ。「浅倉さまぁぁぁ!」と発狂するクセがある。

0-2.いざ、劇場へ

 上述の通り、私は最近の仮面ライダーを全く視聴しておらず、オーズはMADが流行ったなぁ、ジオウは龍騎の回もあったので少し知っているなぁ、令和のライダーはなんか不評だなぁ、というくらいの知識しかないが、ギーツが生き残りをかけたライダー同士の争いをテーマにしていることを知り、それ龍騎に似てるじゃん!と若干テンションが上がる。

 元からバトルロワイヤルものがとても好きで、それこそ『バトルロワイヤル』から、『Fate』シリーズ、『未来日記』、『魔法少女育成計画』など、群像劇かつ対立構造が複雑なものを好んで観てきたこともあり、興味はあった。しかし、放映されている日曜日の朝の時間帯は、だいたい予定が入っているか、平日の忙しさの反動で寝腐っているか(ダメ人間)の2択で、またこのところどんどん新しいシリーズものに手を出す体力もなくなってきたので(あるあるだと思う)、「やはり自分は龍騎と剣に生きる身……!」と、懐古厨であることに甘んじて生きていた。ギーツのことは既に忘却の彼方へ………。

 ところがそんな折、シャニマスや特撮などの趣味を同じくする仲間たちからDiscordで連絡があった。曰く、「龍騎の新作映画への客演が決定したから絶対見ろ」という。
 YouTubeの「シネマトゥデイ」チャンネルを見ると、確かに須賀貴匡氏、松田悟志氏、萩野崇氏の座談会が何本もあがっており、撮影の裏話などを語ってくださっているではないか。3人が仲良く話している姿はなんとも微笑ましく、また同時変身シーンの存在も示唆しており、あまりに興奮した私はYouTubeを見ていたスマホをカードデッキに見立てて、それぞれの変身ポーズを再現し続けるという奇行に走ったのであった(なお、唯一残念だと思ったのは、涼平氏=ゾルダが出演しないということのみだった)。
 普通、現行ライダーの映画に20年も前の過去作のライダーのみピンポイントで客演するなんてことはなさそうで、龍騎がどれほど今に至るまで人気であり続け、多大な影響を与えているかを垣間見た気さえする。

 30秒予告を見たところ、主にリュウガ・ナイト・王蛇の3人がギーツやリバイスの敵として立ち塞がることが分かった。個人的にはリュウガが出ているというのが非常に謎めいており、「一体龍騎サイドはどの世界線・時系列なのか」「龍騎はどのタイミングで登場するのか」「ナイトも悪役に徹するのか」「雑な扱いはされていないか」など、様々な疑問を抱えながら劇場へ足を運ぶこととなった。


1.やはり龍騎は神だった

 結論から言うと、この映画はギーツやリバイスを見ていなくても十分楽しむことができ、龍騎サイドの描かれ方も神がかっていた。客演の龍騎たちはある意味やられポジションで雑な扱いをされるのではないかと懸念もしていたのだが、杞憂に終わった。龍騎・リュウガ・ナイト・王蛇はそれぞれに活躍の場が与えられ、また龍騎本編のセリフのオマージュ(特に浅倉様)や、後輩ライダーへのメッセ―ジ、そしてラストシーンなど、鳥肌が立ちっぱなしで、涙なくしては見られないような構成だった。

1-1.浅倉様の活躍にうっとり

   序盤30分ほどはリバイスのアフターストーリーが描かれており、大変申し訳ないことに、リバイスを全く見ていない私にとっては、バイスの復活に感動もなにもなかったのだが(声がやけにジャイアンだなぁなどと考えていた)、流れが変わったのはギーツのパートに入ってから。最初に顔を出したのは蓮=ナイトであり、「戦いが始まる」の一言を皮切りに、徐々に劇場全体のボルテージも上がり始めたような気がする。
 そして、デザイアロワイヤルにおける最初の刺客であるリュウガの登場を経て、満を持して列車内の戦いで王蛇が登場。例によって「浅倉さまぁぁぁ!」と発狂したい気持ちはあったが、なんとかぐっとこらえる。ライダータイムに引き続き若干腹は出ているものの(禁句)、気だるそうに、だが「もっと楽しませてくれよ!」と残忍かつ狡猾に獲物をベノサーベル1本で追い詰める姿に、思わずポップコーンを食べる手も止まり、食い入るようにスクリーンを見つめてしまった。
 ここは新旧紫対決ということで、バッファの中の人も映画パンフレットで言及していたところでもあるが、隙をついてアドベントを発動し、ベノスネーカーでトドメ、からの「甘過ぎるんだよ、坊や」という新規セリフを残して去っていく姿に、「ファ――――――――!!」とならざるを得なかった(語彙力崩壊)。地下鉄の駅構内を突き破ってベノスネーカーが登場するシーンは、龍騎劇場版でドラグレッダーが登場したシーンも彷彿とさせる。深読みしすぎかもしれないが、龍騎と王蛇の対比がまたこういった随所に散りばめてられているのは、ファンとしてとても嬉しく感じるのである。
 またその後、ナイトが商店街でナーゴとジャンヌをガードベントだけであしらい「戦わなければ生き残れない!」というシーンは、本格的に龍騎という作品がギーツやリバイスに食い込んで爪痕を残していくのだという象徴とも言えるのではないかと感じた。

 終盤、デザイア神殿のシーンではついに変身前の浅倉様も登場。ここでの「相変わらずだな」というような蓮との掛け合い、そしてその後のカシマスタジアムでの同時変身前のやり取りの内容は、「一体龍騎サイドはどの世界線・時系列なのか」という部分への考察が捗る部分だったと思う。同時変身については、件の龍騎サイドの座談会で得ていた前情報で、空撮も含めたシームレスな撮影により、現代ライダーと同じ変身モーションの尺とクオリティになっていることは知っていたが、ミラーモンスターなどの演出がギーツやリバイス側と文字通り鏡写しになっており、映像の進化を感じさせた。

 最後の戦いはシーカーとギーツ・リバイスの部分に重きが置かれるも、「ヒーローは遅れてやってくる」の慣用句通り、ついにナイトのファイナルベントによるリュウガへの一撃で龍騎=城戸真司が解放され、リュウガとの一騎打ちが描かれることになる。言われてみればナイトはナーゴとジャンヌに対してガードベントしかしていないなど、積極的なデザイアロワイヤルへの参加の様子が見られなかったのだが、このシーンでは「やはりナイトは完全に悪に堕ちたわけではなかったのだ!」と、にわかに驚きをもって、胸を撫でおろすこととなった。
 その後、若干王蛇がナイトに押され気味なのは気に食わなかったものの、別アングルからのドラゴンライダーキックを拝むことができ、大興奮。リュウガは倒され、デザイアロワイヤルの終結とともに龍騎サイドは全員消えていくなど、一件落着!といった形で、ラストの大団円へと物語は向かっていくのだった―。

1-2.深い感動を与えられたラストシーン

 しかし、龍騎サイドの客演はここで終わらなかった。ラストシーンで美味しいところをかっさらっていったのである。
 ここが、私がこの映画で唯一「ギーツを見ておけば、何割増かで感動できたかもしれない。。。」と後悔に苛まれたところであった。タイクーンの変身者である桜井景和の前に、なんと真司くんが現れる。いわゆる裏真司(鏡像の真司)ではなく、本物の城戸真司だ。
 真司くんは言わずもがな、龍騎本編では一貫して戦いを止めようとしていたポジションであるが、同じく平和を願う景和に、先輩ライダーとしてエールを送ったのであった。さらにその後、蓮も物陰から現れ、本編と同じようなノリで会話を交わし、別方向に向かって歩みを進める。

 物語の終わりに際し、「真司くんと蓮が同じ画面上に生きて存在する」というのは、龍騎ファンにとっては非常に大きな意味合いを持つ。
 龍騎劇場版は、崩壊したミラーワールドから溢れ出たハイドラグーンの群れに対し、龍騎とナイトの2人だけで立ち向かうという、残酷で絶望的な結末だった。
 TVSPは、蓮が倒れ、意思を継いだ真司くんがナイトに変身し、他ライダーと戦う(もしくはコアミラーを破壊する)という悲劇的な結末だった。
 ライダータイムは、真司くんを庇って蓮が先に命を落とし、2人のアドベントカードが虚空に舞って消えるという、胸を刺す悲しい結末だった。
 そして本編最終回においては、ラストで2人は再び相まみえるものの、世界がリセットされたことにより親密な関係を築くのはまだまだこれから、という切ない結末に終わっている。つまり真司くんと蓮は、どのライダーバトルにおいても、平穏無事なまま共存することはできないという運命にあった、とも言えるのだ(2人ともサバイブの所有者にも関わらず、だ)。
 しかし今回の映画では、2人とも無事にエンディングを迎え、(パンフレットで須賀貴匡氏がおっしゃったように)当時の「真司くんと蓮」を彷彿とさせるような関係性のまま、物語は締めくくられる。20周年となる龍騎が、ここにきて「暗い結末ではなく、希望を持てる結末」という1つのターニングポイントを迎えたことは、驚きと深い感動を私にもたらした。同時に制作陣が、龍騎という作品をただの客演ではなく、いかに大切に扱ってくださったかということも、十分に推察することができたのであった。


2.考察

2-1.龍騎サイドの世界線・時系列

 映画視聴前の疑問の1つで、いまだ解決していないのが「一体龍騎サイドはどの世界線・時系列なのか」ということである。
 特撮ファンの友人とも様々議論したのだが、結論「龍騎劇場版の世界線・時系列に近いが、どの世界線・時系列にも属さない」という曖昧な結果となった。私自身、考察しきれずに、いまだにうんうんと唸っている。
 考察するだけ野暮な問いのような気もしており、「龍騎のパラレルワールドの1つである」とだけ考えて楽しむのが正解かもしれないが、その前提に立ちながらも、あえて以下の通り拙い考察は展開したということを示しておく。なお本考察においては、消去法で結論を導出しており、あくまで最も可能性があるのは龍騎劇場版の世界線・時系列であると判断しているにすぎないこと、ご承知おき願いたい。

 まず「真司がミラーワールド(リュウガ)に囚われていた」ということ、「真司くんと蓮がお互いについての記憶を保持している」ということ、そしてラストにおいて示唆されている「まだ龍騎たちの戦いは続いている」ということから、ライダーバトルは続行しており、龍騎本編最終回後の戦いのない世界ではないことが分かる。同じく、蓮が生存していることから、TVSP終了後の世界も候補から外れる。
 さらに、(涼平氏のスケジュールの都合などメタ的要素は置いておいて)北岡秀一=ゾルダが参戦していないことから、龍騎本編最終回直前や龍騎劇場版は候補に入ってくる。
 しかしここで考察を阻むイレギュラーな存在なのが王蛇とリュウガの存在である。浅倉様の「また戦えて嬉しい、信じられるのは憎しみだけ」という主旨のセリフから、ライダーバトルは既に終結している世界(ただし必ずしも龍騎本編最終回後の戦いのない世界とは限らない)であるとも捉えられる。また、リュウガが存在するということは、龍騎劇場版の世界であるとは考えられるのだが、その場合王蛇はリュウガとファムに倒されており、存在しないことになる。映像媒体で確認できる範囲では王蛇とリュウガも基本的には共存していないはずなので、どうしても矛盾を孕んでしまうのである。
 以上より強引に考えるならば、「龍騎劇場版において龍騎・ナイト・王蛇・リュウガの4名が生存し、ライダーバトルの決着よりも先にハイドラグーンを一掃した世界」というのが最も近いことになる。ラストで真司くんが蓮に向かって放ったセリフ「また蓮に助けられた」は、ハイドラグーン戦のことを示唆しているとも考えられ、「まだ龍騎たちの戦いは続いている」という事実は、ライダーバトルの決着がこれからであることを意味している。なんだか自分で書いていても混乱し始めたが、龍騎サイド的にはハイドラグーンの一掃⇒ライダーバトルの決着という順番で、原典たる龍騎劇場版からはやや変質した世界線・時系列になっている。
 なお、エンディングにおいてギーツやリバイスの世界になぜ真司くんや蓮がいたのかについては、考察が及んでいない。龍騎の世界から呼び出されたまま居座っているのか、はたまたギーツやリバイスと世界観を共有しているのか……。謎は深まるばかりだ。
有識者の方、どうか私に知恵をお授けください……。

2-2.映画の根底にある主題

 世界線・時系列の小難しい話はさておき、最後に本映画の主題についても言及しておきたい。
 ずばりそれは「もう1人の自分の受容」であると考えられる。これはリバイスサイドの脚本を担当した木下半太氏のパンフレットにおけるコメントも参照した上で、割と確信を持っているところでもある。
 曰く、「自分の中にいる悪魔と向き合い、それを認めていく」というのがリバイスの主題であったというが、これが見事に客演たる龍騎とリュウガの関係にもマッチしており、リュウガがなぜ龍騎サイドから選出されたのかということにも明確な答えが得られた。この映画は単純に龍騎を出すだけでは成り立たず、リュウガの存在があってこそ、初めて主題に対して真にアプローチできたと言えるのである。

 もう1人の自分-往々にして闇の部分、それこそ悪魔と呼べるべきものに対する向き合い方は人それぞれであり、映画の中でもいくつかの道が示されていたように感じる。真司くんに邪念がなさすぎるがゆえに発現したとも言われているのが鏡像の城戸真司=リュウガであるが、真司くんは龍騎のシリーズを通じ、主に蓮=ナイトという他者の助けを得つつ、対決することで自己の闇の部分を清算してきた。リバイス未視聴勢なので紆余曲折は存じ上げないが、一輝はバイスを大切な家族として受け入れているように見受けられた。先輩ライダーの2通りの決着方法がある上で、映画中盤で触れられた平和を願う景和に潜む闇の部分については、今後ギーツ本編で詳細に描かれることになるだろうが、ラストシーンで真司くんが景和に語りかけたのは、同じポジションにいる先輩から後輩へ、その闇の部分に打ち勝てというエールの意味合いもあった。そしてそれは、リュウガに打ち勝った真司くんだからこそ、初めて説得力を持つのである。

   以上のことからもうかがえるとおり、この映画は(ギーツが放映開始してまだあまり時間が経っていないということもあり)リバイスの後日談を主軸に展開しつつ、その主題を継承する形でギーツの今後に繋げ、さらに龍騎というエッセンスを加える形で、ライダーの歴史を紡いでいくという構成になっている。そしてその客演は、龍騎でしか成しえなかったものであると、私は強く感じている。


3.終わりに

3-1.『仮面ライダーアウトサイダーズ』に向けて

   『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』は、賛否両論ありながらも、個人的には龍騎サイドについては大満足の出来上がりになっていたと思う。
   松田悟志氏をもって「あと残されているオチはこれしかない!」と言わしめたのはジオウのライダータイムだったが、今回の映画において真司くんと蓮が記憶を保持したまま共存するエンディングが用意されたのは、「客演として残されているオチはこれしかなかった」とも言えるのでなかろうか。

   そして龍騎といえば、1月29日には王蛇が主演の『仮面ライダーアウトサイダーズ』が配信開始となる。初めて戦いのない世界における王蛇が描かれ、しかもサバイブ体が出るというのは大変楽しみである。ただ一方で、原典、そして浅倉様へのリスペクトが足りているか、整合性が取れているかということについては、注視しなければならない。

 また劇中で多数の伏線が散りばめられたギーツについても、映画全体に対するより深い感動を事後でも構わないので味わいたく、ようやく重い腰を上げて視聴を開始しようと、心に誓った。景和が自身の闇の部分にどのように向き合い、そして受容していくのか、ギーツ本編の今後の展開に期待したい。

3-2.余談

  • 最近のライダー作品には、YouTuberという職業の登場人物が登場していることを知り、時代の移り変わりとともに世相を反映させた設定になっているなぁと感じた。それにしても、登録者1,000万人のスーパーセレブ祢音TVとやら、アンチの数も多そう

  • あまりに龍騎サイドが良すぎたために、終了後も泣きっぱなしで、そんな状態で池袋を闊歩していたら、通りすがりの仮面ライダーお兄さんがとても心配してくださいました。しかし、どうすることもできなかったと思います……。ごめんなさい……。

(完)

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