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7.お譲り着物がわたしを包んでいる

わたしが最近着物に興味があると知った義母が、持っている着物を譲ってくれるようになった。

わたしは関東に住んでいるが、義両親は九州に住んでいるため着物を譲るにも骨が折れる。孫に会いにきた時、旦那に荷物を送る時などに、わざわざたとう紙に包んだ状態で私の手元まで届けてくれる。
たとう紙とは、着物を状態よく保存するために包んでおく紙だ。きれいに畳んだ着物をしっかり包んでおくために、すごくかさばる構造をしている。例えるならばプラスチック衣装ケースの蓋。広げているとあれくらいかさばる。

義母はわざわざそんなかさばるものを、遠方に住んでいる嫁に届けてくれるのだから本当にありがたい。お義母さん大好き。義母は着物を受け継いだものの特に興味はなく、しまいっぱなしにしていたそうだ。自分は特に興味がないが、嫁が好きだというのでかさばる包みを送ってくれるのだから、いよいよもう足を向けて寝られない。

さて、私の義母自慢はもういいのだ。義母が私に繋いでくれた着物の話がしたい。義母が届けてくれたたとう紙を開くと、いつも鮮やかな発色にハッとさせられる。カラフルな色使いの小紋やマゼンダピンクの訪問着、上品ながら鮮やかな紫の紬。目を引く色使いにいつもワクワクさせられ、生地に触れると胸がドキドキ鳴る。

それでいて鏡で合わせると、意外とすんなり落ち着いて、着物がわたしを立ててくれるような感覚を覚える。その時に「あ、これは上級者の選んだ着物なんだ。」とまざまざと感じさせられる。

義母は「これは誰が着ていた着物なんだろうねぇ」と言いながらしげしげと着物を眺める。どの着物も低身長の私にはちょうどよいサイズだが、高身長の義母には小さすぎる。家族の縁で私の手元に迎えられた着物だが、元の持ち主がどこの誰だか顔さえわからないのだ。

しかし、譲り受けた着物を眺め、コーディネートをうんうん考え、じっくり着付けていると、持ち主のことがなんとなく肌感覚で理解できてくるようだ。この人は…わたしとおんなじ背格好の派手好きなおしゃれさんだ。それを嫌味な感じがなくサラッと着こなして、仲間内でもきっと好評なのだ。お出かけ好きで友達も多い。多趣味でおしゃべりが上手なタイプだ。これも確信している。

これだからリユースの着物はたまらない。着物の生地を作った職人さんがいて、その生地を選んで着物をオーダーメイドで作った人がいて(お仕立てという)、それを受け継いだ人や手放した人がいて…その小さな歴史が自分のもとに流れ着いて身を包んでいる。嗜好や暮らし、息づかいが染み込んだ着物で、わたしもコーディネートして自分を形作る。もう知る事ができない歴史の余白が妄想をはかどらせる。そんな要素がなくても、着物が着物というだけですでに面白くてきれいなのに。

着物のかつての持ち主のことを想像していると、勝手に覗きみているようなバツの悪さも感じる。いつかこの着物の持ち主が判明したら、そうとは知らないまま顔を合わせてみたい。その人と話したり、所作を見ているうちに「もしかして、もしかして」と確信を募らせ、着物の話になって「ああやっぱり!あなたが持ち主でしたか!」とふたり一緒になって大はしゃぎしてみたい…と。

こんな妄想ばかりしながら、夜な夜な一人で鏡に向かって着付け練習をしている。

ライライ


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