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初・デジタルデトックス

#20210921

デジタルデトックスというものをしてみた。
ど田舎の温泉宿に泊まり、押し入れに籠って聖書を開き、神様と自分と向き合う時間をもった。

聖書を開くのは実を言うと何ヶ月ぶりかであった。いつも礼拝はアプリを開くため、聖書自体には手をつけていなかった。

聖書を開くとたくさん線が引いてあったり栞が挟まれていた。
読み進めるとこの聖句たちに目が止まった。

[ローマ人への手紙 12:2]
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
[ローマ人への手紙 14:8]
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[コロサイ人への手紙 3:23-24]
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
[マタイの福音書 25:23]
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

将来の夢が叶わなくて、まだ受容できずにいた時であった。
神様の御心であれば(夢に)受からせてくださいと祈っていた。
しかしその結果に納得できなかった。
この聖句を読む中で、本当に神様の御心を求めていたのか、と思わされた。
私は神様のもので、神様に仕えるために先に救われていて、この世ではなく、天国(御国)という次元で物事を神様は進めておられることを感じた。

今年6月、私含む4人の同期の中にクリスチャン(中学まで教会に通っていた)がいることを、不思議な形で知った。
あるきっかけで家族自体教会から離れてしまったようであった。私がクリスチャンであるということは、4年前の時点で話していたため彼女は知っていたが、彼女自身がクリスチャンだとその時は公言することはなかった。今年、不思議なタイミングで神様は彼女自身がクリスチャンだと教えてくれた。そして、今も教会には行っていないが、神様自体は信じているのか、クリスチャンであると話していた。

先に救われているものとして、彼女がもう一度神様の前に出る様祈っていきたい。
そして、神様の国の住民、神の子どもとして神様に支えていきたい。

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