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最期まで走り続ける

2022.12.29 (母方の)おばあちゃんが天国へ
2023.1.3 教会で告別式。

おばあちゃんは私が幼稚園年長(6歳)の時、アミロイドーシスという難病で余命3ヶ月と宣告を受けた。信州大学医学部附属病院に入院していたが、最期は家を希望した。そのため私たち家族が祖父母の家に帰って介護をすることになり、ど田舎な今の家に引っ越した。すると突然、祈りによって病が癒やされ、この夏まで(約20年)ピンピンと元気に畑仕事をしたり、数年前までは車を運転したりもしていた。
この夏、胆管癌が判明し、胆管炎、そして敗血症となりPTCD(ドレナージ:管)を入れたまま入退院を繰り返し、何度も今日が山場です、と医師から説明を受けては持ち堪えていた。

12/27
私はバイトでデイサービスに行っていた。利用者が少ないため1時間早くあがっていいよと言われ、帰り始めた時、おばあちゃんの脈が20回/分にまで延びたと連絡が入った。病院に向かうと穏やかで、血圧も戻ってきており話すことができた。家族みんなが医師から説明を受けている間、おばあちゃんと2人きりになって話をした。

おばあちゃん(以後:お)「夢見た。天国はいいところやで。イエス様がおった。」
私「天使とか、ひいじいちゃんひいおばあちゃんは?なんか言うてた?」
お「おらん。なんも言うてなかった。」
私「そっか、それで戻ってきたん?」
お「うん。心の準備はできてる。ここがどこかわからんし、なんか放送とか流れるのはわからんけど。飛んでるねん。」
私「なんか飛んでるの見えるん?」
お「ううん、飛んでるねん。」
私「おばあちゃんが?」
お「うん。」
私「どこに向かって飛んでんの?」
お「イエス様のとこ。」

もともと翌日の12/28〜31まで自宅に外泊する予定で、ケアマネージャーと訪問看護(以後:訪看)が入り、エアマットや酸素、吸引の準備ができてきた。
当直医が準備できているなら1日早いけど、今から家に帰りましょう!と言ってくださり、2時間後にはストレッチャーで運ばれ家に到着した。

病院では一親等と在宅での介護協力者である私しか面会できないが、自宅に帰ることで、牧師先生ご夫妻・従姉妹(孫)も集まって、話すことができ、お祈りの最後には力強く、アーメンと言い、ゆっくり(神様に向かって)階段を登っていきます。と話していた。

12/28
朝方から話すことはできなくなり、首を横に振ったり、瞬きでなんとか意思表示できる程度となった。
昔から繋がりのある隣の家の人も呼び、会ってもらうことができた。讃美歌をずっと流していると、この曲はなんですか?と話され、家族みんな平安の雰囲気の中、会ってもらうことができた。時折声は出ないが賛美に合わせて口を動かすこともあった。
在宅医も来られ、CVから点滴をいくことになり、管理は私がすることになった。

12/29
朝10時頃、訪看と体を拭いている間に呼吸が止まり、呼吸の間隔が延びてきた。まだ会えていなかった従姉妹(孫)も到着した。家族みんなで囲み(本人は食べられないが)ご飯を食べたり、賛美を歌ったりして、過ごし…
私と叔母さん(母の姉)の2人で付き添っている時、私がリトリートで見た、幻(天国にいるイエス様とひいおばあちゃん・ひいおじいちゃんが見えて、一緒に賛美して楽しかったこと)の話をした時、おばあちゃんはパッと目を開き、しばらくすると天国に帰っていった。私が見た幻と同じ景色が見えたのだと思った。
22:15。みんなで聖歌260「主よいよいよ」を賛美し、訪看と私とでエンゼルケアをし、従姉妹と母・叔母さんと私でお化粧をし、和んだ空気の中、最期の姿へと整えることもできた。

ひいおばあちゃんがこの地域で初めて救われ、次にひいおじいちゃん、1人娘のおばあちゃん。そして母と叔母さん。この家で家庭集会が始まり、今の教会の始まりとなった。おばあちゃんは、おじいちゃんと洗礼を受けたくて、婿養子で来たおじいちゃんが救われるまでずっと待って、2人揃って洗礼を受けた。そこから家族全員クリスチャンとなった。
ひいおばあちゃんが、この仏教の強いど田舎で初めてクリスチャンとなり、村のみんなに告げ、おばあちゃんはそれを受け継いでみんなに証していた。入退院を繰り返す中、なんとか誰かの支えがあれば杖を持って歩ける時、老人会に行き、クリスマスのトラクトを配り、最期まで地域のみんなに証をして、1人でも多くの地域の人にイエス様を伝えたい、といつも祈って聖書を読んで賛美している人だった。また、今は教会から離れている親戚の方々には手紙を通し証をし、先に天国で待ってるよと、伝えていた。

12/30〜1/2
お悔やみ(亡くなった時、田舎では地域の人や親戚が家に上がって顔を見に来る)では、皆、おばあちゃんのことを愛していること、そして最後に行った老人会のことを話していた。中には何度も何度もトラクトを読んでいると言う人もいた。おばあちゃんが愛を持って伝道していたことを強く感じた。

1/3
教会での告別式。昔ながらのこの地域は、自治会の班のメンバーが亡くなればその班で、受付をしたりみんなで手伝いをする。日頃地域の人をみんな教会に呼ぶのは難しいが、この時はみんな教会に集ってくださる。駐車場も足りず、席も詰め詰めで一階にも椅子を置いて中継で繋ぐほど…約100人が集まってくださり、おばあちゃんが書いたメッセージの代読を聞いたり、牧師先生のメッセージを聞いてもらうことができた。そして、おばあちゃんはギデオンの働きもしていたため、新約聖書とトラクトもお配りした。おばあちゃんの大好きなお花がいっぱいで、まるでイエス様との結婚式やんっていうくらい、お花に包まれた姿は本当に綺麗で、美しかった。

最期まで、クリスチャンとしてイエス様を証し、走り抜いたおばあちゃん。私の自慢の大好きなおばあちゃんです。私もおばあちゃん同様、最期まで走り続けたい。そして、私が天国に行く時は迎えに来てもらい、イエス様とみんなで賛美したい。

宣教師や伝道師、ひいおばあちゃん達によってこの地に種が蒔かれ、私たち家族は4代目の私まで信仰のバトンが受け継がれてきた。おばあちゃんのように、私の手の中にあるこの信仰のバトンを次の人へ、そして次の地へと渡し、種を蒔き続けたい。この思いを、ちゃんとおばあちゃんに最期伝えることもできた。

神学校の冬休みという期間、おばあちゃんにずっと付き添うことができ、最期の時まで孫として、そして看護師としても関わることができ、ただただ感謝な時間を過ごすことができた。神様はおばあちゃんと霊的な会話もさせてくださり、様々なことを確信へと繋げさせてくださった。
おばあちゃんがいなくなるのは寂しいけど、神様から最高のプレゼントをいっぱいもらい、私は幸せです。
神様ほんまにありがとう。
おばあちゃん、また天国で!シーユーアゲイン!

【12/27 デボーションの聖書箇所より】
[詩篇 146:2]
 私は生きているかぎり 主をほめたたえる。
 いのちのあるかぎり 私の神にほめ歌を歌う。
【告別式のメッセージでもあった聖書箇所より】
[ヨハネの福音書 12:24]
…一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
[ヨハネの福音書 11:25]
...「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
[ヨハネの黙示録 21:1〜4]
また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
  「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
  神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
  神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
  神は彼らの目から
  涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
  もはや死はなく、
  悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
  以前のものが過ぎ去ったからである。」

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