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【効いた曲ノート】久石譲/米良美一 "もののけ姫"



今回は「金曜ロードショー見たよ」の一言に尽きるのですが笑

まー、良いものというものは何度みても良い、発見があり、新しい感動がある、まさしく生き物のようです。

小さい頃は「同じものを何度も見るとかボケてんじゃねえのか」だとか思ってたのですが(お察しの通り可愛いげのないガキでした)、ある程度のもの、スケールであったりディテールであったり、というものは一度で「味が分かる」というものでもないし、そういう風に作ってもいないということがそれなりに(笑)年を経てくると体感してくるところです。
(とはいえ、近頃は購買欲を煽るためでしかないあえての”消化不良感”の演出が濫用されているのではなかろうかと感じるところですが...)

また、その「一度に分かる味」というのも鮮度が大事で、早ければ早いほどさらには直に体験しないとことには、やはりそうでない場合との差が大きい。映画に限らず、劇場型のイベントというものはそういうものを付加価値に成立しているのでしょう。いやあ、見れば見るほど、映画館で見たかったですね。時代的に叶わないことなのですが...w






前置きが長くなりましたが今回は映画「もののけ姫」の主題歌から。久石譲さんの音楽は自分をいわゆるポップスとは異なる「器楽音楽」の世界に誘ってくれた人の一人です。言葉よりも雄弁に人を動かす音の力というものがあるのだなあと、ついつい口ずさんでしまう経験があったことをよく覚えていますが、そのなかでも特に独創的で心を掴まれたのは「もののけ姫」の音楽と米良美一さんの歌声。
(あと影響力が大きかったのはアニメ版「ポケモン」の曲たち...これもCDコンポを買ってもらった時に真っ先に小遣いでCDを買った)

小学校でめっちゃ物真似が流行ったのですが、それはカウンターテナーという男性が女声の音域を発することの珍しさを面白がったことが一番大きかったとは思うのですが、アシタカは正直劇中で優等生でしかなかったのにココでこんな個人的な情念込めて歌ってしまうんかい!というギャップがあったような気がします。完全に別人の感情のこもりっぷりと音域なのに視点だけアシタカなんですよね。そこが不可思議だったのかもしれませんし、その「可笑しさ」、美化(神格化?)された感じがこの曲の深みになっているのかもしれません。

本物の芸術家(ここでは声楽家)が情念込めたときの圧倒、というか処理落ちを起こしてしまってある種の「可笑しさ」を感じてしまうのは子どもによくあることなのだと思います。シューベルトの「魔王」(お父さん!お父さん!)とか「千の風になって」のテナーもめっちゃ真似されましたね...w




今回記事作成にあたって米良さんの録音裏話を含めこの映画のメイキングを見ることができて「もののけ姫」に対する製作側の思い...というと単純化されすぎるくらいの、混沌ともいうべきアレやコレや...に触れることができましたが、中でも非常に印象に残った言葉があります。


「自分がよくわかっているものを伝えることは単なる伝達でしかない。表現とは、自分でもよくわからないものに対して、己を絞り出すことで初めて掴み取るものなのである。」


集合住宅の小さなシアター室でご近所さんたちとポテチを貪りながら見た初めての「もののけ姫」はよく分からなかったという印象しかなかったのですが、実はそれが一番「味わえていた」のかもしれません。人間の業とそれでも生き続けるということの意味。20年経った今の子供たちにも「よくわからんなあ」と思ってもらうことがこの作品に対する最大限の敬意に値するのでしょうか。

ま、その予定は全くの白紙なのですが...、、。。。

ヤックルかわいいよヤックル。


それでは。