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逆に誰が書いたんだよという心地よいオーボエの歌声…フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作ではないと言われる”伝ハイドンのオーボエ協奏曲”






そろそろ梅雨とか言われてるけどまだ涼しいし春だと言い張っていきたい。今回も春めいた温かい曲から。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は宮廷音楽家として人生の大半を過ごし、106の交響曲と68の弦楽四重奏曲によって交響曲と弦楽四重奏曲を音楽の一大ジャンルにのし上げた作曲家です。モーツァルトとは親子ほどの年の差がありながらも親友と呼びあう仲であり、そのモーツァルトへの弟子入りをベートーヴェンが熱望していたということですから、音楽界の方向性を決めた人物の一人といえるでしょう。宮廷音楽家の任を解かれ、悠々自適の年金暮らしとなった後の作品が特に素晴らしく、やはり生活の糧を得るという制約から離れることは大きいようです。

このオーボエ協奏曲も確固とした構成にオーボエソロもハイレベルでありながら、聴きごたえはさわやかな仕上がり。充実した作品といえます。ウキウキします。




とはいえ、この作品、実は「ハイドンの作とは言い切れない」いわくつきの作品のようです。

この作品の存在が明らかとなったのは1926年のことで、ザクセン地方の図書館から写譜されたパート譜が「発掘」され、その表紙には「ハイドン作」と別の人物の筆跡で書き足されていたということのようです。そのため、本当にハイドンの作ったものなのかが疑わしく、ハイドン作品の目録には記載されていません。(表掲CDの解説文より)

とはいえ、協奏曲とは普通所属する楽団の腕自慢のために書かれますし、ハイドンは当時協奏曲がほとんどかかれなかったヴィオラ以外の楽器については協奏曲を書いています。当時楽器の構造的にメロディを奏でることが難しかったトランペットですら、新型の楽器のための協奏曲を書きそれが大傑作として現在も重要なレパートリーとして残っていますので、当時からメロディ楽器としてバリバリやっていたオーボエの協奏曲がないというのも珍しいことです。また、ハイドンが楽団に在籍していた当時は四人のオーボエの名手がいましたので、誰かのために楽曲提供していてもおかしくはないと。

歴史のミステリーみたいになってきましたが、いずれにせよこの曲はエエ曲やということに変わりはありません。音源も多数出されていることがその証左でしょう。誰が書いたか、というのは現世利益である著作権的には重要なことですが、人類共有の財産の一つとして「発掘」されたこともまた喜ばしいことです。